「そのとき私たちが考えていたのは、イトカワに着陸して、地球に帰還するという目標を第一に考えることでした。1つのチームだけが成果を挙げても、世界から高く評価はされません。多くの分野で様々な発見があったことを示して、初めてこれはトップレベルの研究だと胸を張れるわけですから」(吉川准教授)

國中教授によれば、「はやぶさ」プロジェクトは始まった当初から、こうした「受益者負担」の感覚が徹底されていたという。

「例えばサイエンティストは、小惑星に着くまで科学的なデータは何も取れません。それでも週ごとにスーパーバイザーを決め、運用室で日々のノルマを彼らもこなしてきました。またカプセルを回収する作業も、カプセルを作ったグループ以外の人員が当然のように労働力として働いたんです」

彼には忘れられない光景がある。09年11月4日、イオンエンジンの最後の1基が停止した。結果的にイオンエンジングループは、「はやぶさ」完成の直前に4基のエンジンをダイオードで繋いでおり、それらを合わせて1基のエンジンとして使用するアイデアで2度目の危機的状況を乗り切った。

そのための対応に追われ、ほぼ徹夜続きの日々を送っていた時のことだ。

「オーストラリアのウーメラ砂漠に行くメンバーを集め、初級安全救命救急講習を受ける予定があったんです。約20人の若い研究者が受けたのですが、イオンエンジンが動かなければ、彼らの仕事はなくなる。だから2、3人は脱落するメンバーもいると思っていたのですが……」

ところが講習が始まると、現場に向かう予定の全員が集まっていた。國中教授が胸打たれたのは、重ねて彼らが「はやぶさ」の置かれている危機的状況について、分かっていながら何ひとつ質問をしなかったことだった。