ラウンドワン日本式の「ゲーセン」は米国でもウケるはず

かつてボウリング場の主要顧客だった「団塊ジュニア」は、1971年から74年にかけて毎年200万人以上も生まれていました。この人たちが10代になり、手軽な遊びとしてボウリングがブームになった。おかげで、80年に会社を設立した当初は高成長でした。

しかしその後、日本の出生数は下がり続けて、89年には約125万人と団塊ジュニア世代の6割にまで減少。この人たちが10代になってボウリング場に来てくれたとしても、売り上げは団塊ジュニア時代の6割です。日本が人口減少サイクルに突入したことを、危機感をもって受け止めました。

杉野 公彦(すぎの・まさひこ) ラウンドワン代表取締役社長。1961年、大阪府生まれ。桃山学院大学在学中の80年、ラウンドワンの前身となる杉野興産を創業。アミューズメントや「スポッチャ」等の遊戯施設を国内に100店舗、海外に56店舗展開している。
撮影=永野一晃
杉野 公彦(すぎの・まさひこ)
ラウンドワン代表取締役社長。1961年、大阪府生まれ。桃山学院大学在学中の80年、ラウンドワンの前身となる杉野興産を創業。アミューズメントや「スポッチャ」等の遊戯施設を国内に100店舗、海外に56店舗展開している。

若者を主要顧客とする事業を、対象人口が減っていく中で成長させるにはどうすればよいか。将来を考えるなら、国内で成長し続けるのは不可能です。だから、早くからアミューズメント大国であるアメリカ市場を意識し、ずっとリサーチを続けていました。当社は97年に大阪証券取引所市場第二部に上場しましたが、その時点ですでにアメリカ進出は計画に入っていたのです。

不動産を持たない経営を志向していた当社は、ノンリコースローン(サブプライムローン)問題で2007年度に1800億円もの借財を抱えることになりました。ただ事業そのものは順調に成長を続けていて、業績も好調でした。そのため、何とか急場をしのげると思うと同時に、こんなときだからこそ思いきってアメリカに進出すべきだ、このタイミングを逃すと将来はないと思い、米国出店を決断したのです。

当然、取引先の金融機関は軒並み大反対。トライアルで1店舗を出すだけなら10億円程度の資金があれば十分で、それぐらいなら捻出できるため自己資金での出店を目指しました。

外国での事業展開でカギとなるのはカネよりもヒト、マネジメントを任せられる人材です。その人材に何より求めるべきは、お客様や従業員など現地の人たちと対等に話せる語学力だと考えました。マネジメント能力を持つ人材の英語力を高めるのと、ネーティブ並みの英語力を持つ人材にマネジメント能力を身につけさせるのなら、後者のほうが時間もかからず確実です。マネジメントなら、私がマンツーマンできめ細かく教えることができます。

満を持して10年に出店したロサンゼルスの1号店は大成功でした。これに気を良くして、2号店をカリフォルニア州モレノバレーに出店したところ大失敗。その理由はマーケティング、具体的には事前の商圏調査ができていなかったからです。

モレノバレーの中心部には瀟洒なショッピングモールがあり、周囲には小綺麗な住宅地が並んでいました。人の集まるモールに出店すれば、きっと遊びに来てくれる人がたくさんいると考えた。ところが、住宅地に暮らしていた人たちはサブプライムローンで家を買っていたため、ローン破綻に伴って家を没収され、空き家だらけだったのです。以後の出店では、マーケティングリサーチを徹底するようにしました。

ロサンゼルスの1号店は、日本のラウンドワンをそのまま持っていきました。それしかノウハウがなかったからです。しかし、出店の数を重ねるにつれてアメリカ人のニーズに対する理解が深まっていきます。16年にペンシルベニア州エクストンへ10店舗目を出店する頃には、アメリカでのローカライズが完了し、「米国流ラウンドワン」が確立しました。

ラウンドワン・メイン店
ラウンドワン・メイン店(写真=Seasider53/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)