「イズイ無くして、マグロ揚がらず」。漁師たちは口々にそう言う。泉井鐵工所のラインホーラーのことだ。苦境に立たされ、そのたびに蘇り、世界中のマグロ漁に革命を起こした男の物語。

マグロのはえなわ漁は江戸時代に始まった

神田須田町の寿司店「鮨葵」。どこの町にもある普通の寿司屋で、店内にはテレビがある。客はニュースやスポーツ中継、お笑いなどのバラエティ番組を見ながら酒を飲み、刺し身と寿司を食べる。値段は高くない。

客筋はいい。日本橋、神田の老舗企業の会長や相談役、警察幹部、銀座の一流寿司店の職人といった人たちが食べに来る。「鮨葵」に来る客が目当てにしているのはマグロだ。主人、田口勝己は冷凍の魚は一切使わない。マグロは近海の延縄はえなわ漁で獲ったホンマグロだけ。握りや鉄火巻きのほかに、カマの部分はねぎと一緒にねぎま鍋にする。ねぎま鍋のマグロは黒胡椒で食べる。

「鮨葵」のマグロ
今年11月に20周年を迎える神田須田町の「鮨葵」は、創業以来、天然の生の本マグロのみを提供し続ける。路地裏の小さな町の寿司店だが、良心的な価格で楽しめる絶品のマグロを求めて世界中から客人が訪れる。
●「鮨葵」東京都千代田区神田須田町1-2 TEL:03-3254-6260
営/17時~22時 休/土曜、日曜、祝日

田口はカウンター越しにわたしにこう言った。

「マグロは一本釣り、巻き網、延縄とあるんです。一本釣りは超高級品だから、うちではまず仕入れることはありません。巻き網漁で獲ったマグロは網のなかで暴れるから身が黒くなる。寿司屋じゃ使いませんよ。だから、うちで主に使っているのは近海で獲った延縄のマグロになります」

田口は川崎出身。私立の坊ちゃん高校に通っていたが、兇悪で知られた暴走族メビウスに参加して毎晩、国道16号線を飛ばしていた。それが彼の高校時代である。

「写真集ありますよ、見ます?」

差し出された私家版の暴走族写真集にはチリチリのアイロンパーマを頭にかけた高校生が写っていた。バイクにまたがり、平然と煙草を吸っている。

その男が四十数年経った現在、カウンターのなかで実直に寿司を握っている。人間は驚くほど成長する。

田口はマグロの握りをひとつ、わたしの前に置いて、言った。

「マグロの延縄って日本で始まったんですよ。知ってました?」

それは知っていた。しかし延縄漁の詳しいことは知らなかった。調べてみると、次のような文言を見つけた。

「マグロはえ縄漁業は、江戸期の延享年間(1744〜48)に房総半島の布良村(現・館山市)で始まった日本の伝統漁法です」(責任あるまぐろ漁業推進機構)

そして、歴史あるマグロ延縄漁に革命を起こしたメイド・イン・ジャパンの漁労機械があることもわかった。それが「ラインホーラー」。マグロの漁獲に革命を起こした機械、「ラインホーラー」が世に出たのは1924(大正13)年。発明したのは泉井安吉。高知県室戸市で生まれた元漁師である。小学校しか出ていない安吉が作ったラインホーラーは日本だけでなく世界の延縄船のほぼすべてに装備された。今でも延縄の新造船ができると安吉が作ったラインホーラーの後継機が採用される。メイド・イン・ジャパンのラインホーラーは世界の海で活躍し、マグロを揚げた。