NHK「ばけばけ」が最終回を迎えた。実在した小泉八雲とセツの夫婦をモデルに、半年にわたって夫婦や家族の愛が描かれた。だが、八雲の死後のストーリーは駆け足で進んだ。遺された家族はどうなったのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実をひも解く――。
ラフカディオ・ハーン(1889年)
ラフカディオ・ハーン(1889年)(写真=Frederick Gutekunst/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

八雲亡き後の生活は“安定していた”

NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。半年にわたった、トキ(髙石あかり)とヘブン(トミー・バストウ)の物語もついに最終回を迎えた。

最終週、3月24日火曜日の放送でヘブンが亡くなった後、物語は残されたトキと家族たちの後日談という形で締めくくられることになった。

さて、史実のセツはその後、1914年に田部隆次による聞き書き「思い出の記」をまとめ、1932年に64歳で死去している。年齢差のあるカップルであることを差し引いても、セツのその後の人生は長かった。

そして、その人生は八雲のおかげで財産に困ることなく安定したものだった。生前、八雲はセツに全財産を譲ると遺言書を書いていた。貯蓄に無頓着な八雲の収入を、セツは巧みに貯金して大久保の屋敷も手に入れていたからだ。そしてなにより、八雲の死後もセツには八雲の膨大な作品による印税が入ってきた。

実に、晩年の八雲の心配事は自分が死んだ後に、残された家族の生活がどうなるか。ただ、それだけであった。長男の一雄は、そんな心配を募らせた八雲が金に執着するような言動も繰り返していたことを記憶している。

徹底した「家族に財産を残す努力」

あの父の口から出る言葉としては余りに浅ましい「金々々!」の叫びを私は時々耳にしました。「私、金いりません。しかしただ妻と子供のため」。父は「金!」と叫んだ後でいつも必ずこう悲壮な声で弁解するのでした。その声はまだ私の耳底に残っています。

(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)

実際、八雲の家族が不自由しないように財産を残そうという努力は徹底していた。大久保の屋敷は最初からセツの名義になっていた。これは、長男である自分にも負担をかけてはいけないという親心ではなかったのかと、一雄は考察している。

結局、晩年の猛烈な執筆は単なる創作欲ではなく、家族への「保険」という側面もあったわけだろう。この執筆による著作で八雲の名声は高まっていた。最晩年に、東京帝国大学の職を辞することになった八雲だが、これすらも収入に変わっている。

八雲が職を辞したのは俸給が高すぎるゆえに、大学としてもその金額で複数人の日本人教師を雇ったほうがいいという判断だったとされる。しかし、これは国内外から猛烈に批判されるものだった。田部隆次は「ヘルンが大学を止めた時、世界の同情がヘルンに集まって日本政府のヘルンに厚からざるを非難した」と記している(田部隆次『小泉八雲』北星堂書店、1950年)。