「小泉八雲の妻」として生きる
保証人に立つも立たぬもないのである。親権者母の実力延長は三十歳の戸主の実印をも預かっていたのである。拒否は絶対に出来なかった。勤もすると例の恐るべき非常識のヒステリーの発作なる爆弾が危なかった。
母のこの悪い持病の介抱に私は馴れていた。だからそれを素人程に厭いはせぬが、まかり間違えば首吊りや咽突をやりかねない発作、無意識中に自分を大不幸に陥れる結果となる危険を私は勿論お体裁や外聞以上に恐れたのである。
(小泉一雄『父小泉八雲』小山書店、1950年)
この融資のしばらく後に、運良く八雲の残した株券のことがわかり、返済することができたわけだが、これも一雄は「マクドナルド氏からの株値の残余をも全部母に提供せざりし事を母は面白く思わなかった」としている。
八雲は、ちゃんとセツや家族が不自由しないように財産を残した。それで、セツは八雲との間に恵まれた子供たちと幸せな晩年を過ごした……とかではない。全然違う‼
ひとつ言えるのは、セツが握っていたのは財産だけではなかったということだ。「小泉八雲の妻」という、夫の死後も輝き続ける名声、その管理者の座もまた、セツの手中にあった。
実際、八雲の死後にまとめられた「思い出の記」も、セツが語り田部隆次が聞き書きしたものである。八雲とはどんな人物だったか、夫婦の間に何があったか、などなど。その「公式の記憶」を作ったのはセツ自身だ。財も、名声も、子供たちの人生も、すべて自分が差配する。それがセツにとっての「八雲なき後の生き方」だったのかもしれない。
“割れ鍋に綴じ蓋”な夫婦
もともとが運命で惹かれ合った八雲とセツだが、共に自分がこうだと決めたら、周囲を無視してでも突き進むタイプである。八雲の著作を陰で支え、その死後は「公式の記憶」まで自ら作り上げたセツにしてみれば、名誉を守るのも私、財産を采配するのも私、夫の記憶を語れるのも私……子供たちもそれに従うべき。だから「なんで従わないのキィイイイ‼」ということだったのだろう。
こうしてみると八雲とセツは運命に惹かれ合ったロマンスというより、割れ鍋に綴じ蓋な夫婦だったと言えるかもしれない。
一雄はそんな母に、ほとほと疲れ果てていたのか、著作の中でも自分のプライバシーすら隠さない。例えば、妻との結婚について、一雄はこう記している。
弟達の結婚は何れも私より早く、その結果の如何に不拘彼等のはラヴァフェーアーからであるが、私達夫婦の場合は少しく違う。両人は未知ではない。お互に同情は持っていた。大宮の土地を見に行った時、偶々来合わせていた彼女に、母は今さら心惹かれた。
(小泉一雄『父小泉八雲』小山書店、1950年)

