長崎市は8月9日の長崎平和祈念式典にイスラエル駐日大使を招待せず、賛否両論を巻き起こした。ジャーナリストの柴田優呼さんは「鈴木史朗・長崎市長は、アメリカ、イギリスなど日本を除くG7の大使から、イスラエル大使を招待すべきだと圧力をかけられても初志貫徹した。実は被爆者運動において、長崎には広島より複雑な歴史がある」という――。
長崎市の平和公園
写真=iStock.com/GI15702993
長崎市の平和公園(※写真はイメージです)

長崎平和祈念式典にアメリカ、イギリスなどの大使は欠席

8月9日、戦後79年を迎えた今年の長崎平和祈念式典。長崎市がイスラエル駐日大使を招待しなかったことで、エマニュエル・アメリカ駐日大使らが式典を欠席する結果となった。

イスラエルを招待しないのは、イスラエルをロシアやベラルーシと同列に置くもので、式典の政治利用だ、というのが、エマニュエル大使らの言い分だった。事前にG7諸国やEUの大使らと連名で書簡を送り、このままだと高官の出席は難しい、と長崎市側に通告していた。

これに対し、式典前日の8日、鈴木史朗・長崎市長は会見で「不測の事態のリスクを考慮したもの」「平穏かつ厳粛な雰囲気の下で円滑に式典を実施したい」と説明し、政治的な理由はないと、大使らの見方を否定した。

両者の言い分は平行線で終わった。だが日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中熙巳氏が言うように、「『ガザで残虐な行為をしているイスラエルに来てもらいたくない』という市民や被爆者の気持ちを受けて、イスラエルを招待しなかった」という面もあったのだろう。広島市がイスラエル大使を式典に招待したことについても、地元では疑問視する声が上がっていた。

長崎市公式チャンネル「NPT再検討会議 長崎市長スピーチ(2024年7月23日)」

「原爆を作る人々よ!」と訴えた鈴木市長を支持する声

実際、広島市の対応は、長崎市とは真逆だった。6日の式典では、入場制限と持ち物検査まで行い、プラカードなどの持ち込みさえ禁止した。背景には、イスラエル大使が出席したことによる「不測の事態」に備える必要もあったと思われる。だがこうした規制はさらに市民の反発を呼び、分断を作り出した。広島市の対応がこれでよかったのかも考えるべきだ。

一方で鈴木市長は8日の会見で、被爆者の平均年齢が既に85歳を超えており、「体にムチを打ち、酷暑の中、頑張って式典に参加する方もいる」と話していた。「長崎市にとって一年で一番大切な日」と市長が見なしているその日に、高齢の彼らが、入場規制や所持品検査を受けて参列しなければならないとすれば、酷なことだ。その点長崎市の方が、より市民に寄り添った対応をしたと言える。市長は市民の代表であることを考えれば、当然のことでもある。

XなどのSNSでは、方針を曲げなかった鈴木市長を支持する声が多い。

鈴木市長は、式典にG7の大使たちが欠席し、岸田文雄首相が見守る中、長崎平和宣言の冒頭で被爆詩人・福田須磨子(1922~74年)の詩を引用した。宣言の内容も、松井一實・広島市長が読み上げた平和宣言より、反響が大きかった。

「原爆を作る人々よ!

しばし手を休め 眼をとじ給え
昭和二十年八月九日!
あなた方が作った 原爆で
幾万の尊い生命が奪われ
家 財産が一瞬にして無に帰し
平和な家庭が破壊しつくされたのだ」

長崎市「令和6年 長崎平和宣言」