冒頭に登場した工藤もいわば“孫マニア”の1人。81年の秋、今の六本木ヒルズ近くのマンションの一室「ハドソン東京事務所」で孫(当時24歳)と初対面した。現在はすでに現役を退いた工藤(当時27歳)は、そのときの面会を一生忘れることができないだろうという。
「第一印象は『何を偉そうに言っているんだ、このお兄ちゃんは』でした。言うことすべてがおかしいんですよ。だって、会うなり『僕は天才です』とか『ソフトウェア流通網で日本、いや世界を制覇したい。だから、御社のソフトをエクスクルーシブ(独占契約)で取り扱わせてほしい』とか。ものを卸してもらう立場なのに、ひどい大風呂敷で、一般常識から外れた話ばかり。こちらは幸いにも商売繁盛で大忙しでしたから、適当に聞き流して、追い返そうと思いました」
にもかかわらず工藤は、孫の話を昼過ぎから夜の8時まで延々聞き続けた。「口のうまい人には気をつけなければ」という警戒心はもちろんあった工藤だが、夜に別れるとき、「この人を信じてみよう」と思ったそうだ。
なぜそう感じたか。工藤は今も自身に問うが、よくわからない。それはまるで電撃的に恋に落ちた男女が、その理由を聞かれても説明できないのに似ていた。
「たぶん……フェロモンにやられた。孫ちゃんに、吸い込まれたとしか言いようがないんです。周囲からは、口汚く『ヤツは詐欺師だ』『誑(たぶら)かされている』と罵る声もありましたが、私には思いもつかない世界規模の大ボラ(苦笑)を語る彼の強い信念に賭けてみたくなったのだと思う。あの目を見たら、これに賭けなきゃ、ビジネスをやっている意味がないって」
工藤は73年、兄の裕司と出身地・北海道でハドソンを立ち上げた。当初はアマチュア無線機器の販売をしていたが、70年代後半からマイコン本体の販売とソフトの制作・販売を開始。孫が来訪した81年はすでに、全国に流通・販売ネットワークを築き順風満帆だった。そもそも孫は招かれざる客だったのだ。