ソフトバンクにとって節目の年になった2010年。日本国中の注目を集める時代の寵児が、「最後の大ぼら」として、30年後、300年後の未来を語った。

大好きな祖母に「大キライ!」

ソフトバンク社長 孫正義氏

何度も言ってきたことですが、私が、ソフトバンクで成し遂げたいのは、「情報革命で世界中の人々を幸せに」ということです。名前も知らない、カンボジアかどこかの小さな女の子が、誰に感謝していいかわからないけど「ありがとう」とつぶやきたくなるような、そんな幸せに貢献できるような会社になりたい。

そう考えるのは、私のルーツに理由があります。私の祖母は韓国籍です。14歳のとき、日本語もままならない、知り合いも頼る人もいない状態で、たった1人で日本に来て、倍以上も年の離れた私の祖父と結婚しました。きっと辛かったと思います。そんな祖母から生まれた私の父は、中学生のときには一生懸命働いて、家計を支えていました。ヤミの焼酎をつくって、残飯で豚を育てて、なんとか生きていたんです。そんななか、1957年に私が生まれました。

私の戸籍には「佐賀県鳥栖市五軒道路無番地」と書いてあります。無番地ならわざわざ書かなきゃいいのにね。でも、線路脇の空き地に、トタン屋根のボロ家を勝手につくって不法に住んでいただけなので、正式に戸籍を認めるわけにはいかなかったんでしょう。父の時代と比べたら、少しは生きやすい状況でしたが、私は無番地で生まれた子どもだったんです。

父も母も働くのに必死だったので、私をかわいがってくれたのは祖母でした。3、4歳の頃、リヤカーで散歩に連れていかれたのを覚えています。そのリヤカーは、飼っていた豚のための残飯を近所の食堂から運ぶのに使っていたので、黒っぽくて、ぬるぬるして、腐ったような臭いがしました。小さい頃は嫌でも何でもなかったですけどね。でも、少し物心がついてくると、あれほど好きだった祖母のことが大嫌いになりました。私にとっては、祖母=キムチ、キムチ=韓国だったんです。私たち家族は、日本名で息を潜めるようにして生きていましたから、その不満が全部祖母に向いてしまった。