世界最古の高層ビルはどこにあるのか。国士舘大学名誉教授の国広ジョージさんの著書『教養としての西洋建築』(祥伝社)から紹介する――。

企業城下町としてのプルマン工業都市

さて、当時の米国でニューヨークに次ぐセカンドシティとして繁栄したのはシカゴです。ミシガン湖畔から運河で大西洋とつながっているシカゴには商品先物取引所が置かれ、全米の農産物が集まりました。

シカゴのスカイラインを背景に、夜に自転車に乗る人々
写真=iStock.com/pawel.gaul
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そのシカゴでは、第一次産業革命時のヨーロッパと同様、都市環境の悪化が進みます。そのため、フランスのゴダン共住労働共同体と似たような(しかしはるかに規模の大きい)試みも行なわれました。1880年代にシカゴ郊外で開発された「プルマン工業都市」です。これは、鉄道車両の製造を行なっていたプルマン社の「企業城下町」のようなものでした。

ゴダン共住労働共同体は1700人程度が暮らすコミュニティでしたが、プルマン工業都市は6000社もの従業員と家族が暮らす住宅を用意した文字どおりの「都市」です。従業員が働く工場があるのはもちろん、市場、教会、図書館、娯楽施設なども提供されました。1893年のシカゴ万博ではこの街が観光名所となり、1896年には「世界でもっとも完璧な都市」として国際的に表彰されています。

ただし1890年代の金融恐慌後には、従業員の待遇をめぐってストライキやボイコットなどの労働運動が発生。企業がそこで暮らす人々の生き方を決めることへの反発も生じました。1898年には、イリノイ州の最高裁判所が「企業に都市を造営する権利はない」として、会社のビジネスに不要な不動産を売却するよう命じます。そのためプルマンの社宅は、1909年までに売り払われました。