ニューヨークのマンハッタンには超高層ビルが建ち並んでいる。その多くは「元世界一の高層ビル」である。なぜ「世界一」を競っていたのか。国士舘大学名誉教授・国広ジョージさんの著書『教養としての西洋建築』(祥伝社)から紹介する――。
自由の女神
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モダニズム建築が世界中に広がった

1928年、工業化と都市化の進む近代社会にふさわしい合理的な建築を推進することを目指す建築家たちの国際的な連合組織として「CIAM(近代建築国際会議)」が発足しました。

CIAM創設の背景にも、コンペにおけるモダニズム派と保守派の対立がありました。1927年に行なわれた国際連盟本部ビルの設計コンペで、ボザールの流れを汲む保守派がル・コルビュジェの計画案を「規約違反だ」と言いがかりをつけて排除したのです。これをきっかけに、モダニズムの建築家たちが結束を強めました。

CIAMは、エレーヌ・ド・マンドロットというスイス人女性がスポンサーとなり、1928年6月、マンドロットが所有するラ・サラの城館で第1回の会議を開催。ル・コルビュジェのほか、ベーレンス、グロピウス、ミースなど24名の建築家が参加しました。

それ以降、第二次世界大戦中の10年間の休止期間をはさんで、1959年までに11回の国際会議を開催しています。

1929年には世界恐慌によって経済がおかしくなり、ドイツではナチスが台頭してくるという暗い世情もありましたが、CIAMが発足したことでモダニズム建築は米国を含む全世界に広がっていきました。

米国建築で大流行したアール・デコ

それと軌を一にして米国建築で流行り始めたのが、アール・デコです。華美になりがちなアール・ヌーヴォーと比べると、機械を連想させるような直線が主体の幾何学的なアール・デコのデザインは、装飾を嫌うモダニズム建築にも似合いました。

ちょうどルネサンス建築からマニエリスムが派生したのと同じように、モダニズムを学んだ建築家たちが次のステップを模索する中で目をつけたのが、アール・デコだったのかもしれません。