フランス・パリのエッフェル塔(高さ300m)は、1889年の完成時、世界一高い建造物だった。人類が見たことのない高層建築を、どうやって実現したのか。国士舘大学名誉教授・国広ジョージさんの著書『教養としての西洋建築』(祥伝社)から紹介する――。
エッフェル塔
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パリのシンボルになった鉄塔

工業化による大量生産へのアンチテーゼとしてモリスがアーツ・アンド・クラフツ運動に乗り出した頃、イギリスで始まった産業革命は次のステップに進んでいました。

18世紀後半の産業革命による経済発展は、多くの植民地を持つイギリスの「ひとり勝ち」状態でしたが、1860年代の後半になると、フランス、ドイツ、そして米国の工業力が向上。その頃から第一次世界大戦前までの期間は、「第二次産業革命」の時代と呼ばれます。鉄鋼業をはじめとする重化学工業で技術革新が進み、鉄道や蒸気船などの交通手段も発達しました。

西洋建築史の観点からすると、ここで初めて「米国」という非ヨーロッパの地域が表舞台に出てくるのが、この時期の大きな特徴です。これ以降の西洋建築史は米国を抜きには語れません。

しかし米国の話は後回しにして、まずはフランスに目を向けましょう。フランス革命100周年を記念して1889年に開催されたパリ万博のために、画期的な建造物がつくられました。いうまでもなく、いまやパリのシンボルとなったエッフェル塔です。

300mのエッフェル塔を可能にした技術革新

それまで世界一高い建築物は、1884年に建てられた米国のワシントン記念塔(169メートル)でした。エッフェル塔はそれを100メートル以上も上回る300メートル。

コンペでは満場一致で選ばれ、講評では「金属産業の独創的傑作として出現しなければならない」というコメントが添えられました。まさに第二次産業革命を象徴する建築物であり、建築工学の面でも大きな前進といえます。

エッフェル塔は、「錬鉄れんてつ」と呼ばれる素材でつくられました。鉄は18世紀の第一次産業革命から大量生産ができるようになりましたが、当初はもろい「鋳鉄ちゅうてつ」だったので、塔のような構造物には使えません。

頑丈な素材にするには、鉄に含まれる炭素を減らす必要があります。第二次産業革命では、その技術が発達しました。それによって錬鉄の大量生産が可能になり、鉄橋、ビルの鉄骨、鉄道のレールなどがつくれるようになります。

その後、より強靱な「鋼鉄(スチール)」の大量生産ができるようになり、錬鉄の時代は終わりましたが、その錬鉄時代を代表する建築物がエッフェル塔というわけです。