代わって、登場したのが土木技師のウィリアム・ハモンド・ホールでした。彼が頑張って完成させたのが、セントラル・パークと同じような立派な公園でした。

当時、サンフランシスコは新興都市だったので、地元の人々は、やはり大都市ニューヨークに憧れていたのでしょう。この公園には僕もよく足を運んで、野生ウサギと遊んだりした記憶があります。

ヴィクトリア様式の木造建築が生み出す街並み

そのゴールデン・ゲート・パークを中心に、サンフランシスコの街は碁盤の目状に区画整理され、住宅地として分譲されました。そこに建ち並んだのは、「ヴィクトリア様式」と呼ばれる木造住宅です。

国広ジョージ『教養としての西洋建築』(祥伝社)
国広ジョージ『教養としての西洋建築』(祥伝社)

ヴィクトリア女王(在位1837~1901)統治下のイギリスで流行した建物や家具のデザインの様式をいうのですが、サンフランシスコは、アメリカの都市として最初にこのヴィクトリア様式の住宅を取り入れました。

1850年から1900年まで合計4万戸あまりの住宅が建てられました。地元の建築史家の研究によると、このヴィクトリア様式も総括的な呼び名で、細かく分類すると、イタリア調、クイーン・アン調、ゴシック・リバイバル調、リチャードソン調など、分類自体も建築史ファンには興味深い名称となっています。

これらの建築は、もちろん当時の地元建築家たちの設計によるものもありましたが、ほとんどが、工務店やデベロッパーが、「パターン・ブック」と呼ばれる建築のスタイルブックをもとに建てられました。

1000万円程度だった住宅が、いまや8億円に…

色彩もバラエティーに富んでいて、現在のサンフランシスコにはこれら築120年以上(最古は築170年)の住宅が残されており、とても文化性の高い豊かな街並みを形成しています。やはり新興国の米国には、ヨーロッパの歴史や文化に対する憧れや敬意があったからでしょう。

ヴィクトリア様式の住宅は、リノベーションされていまでもサンフランシスコにたくさん残っています。余談ですが、僕が20代の頃、老朽化し放置されていたようなヴィクトリア様式の住宅を安く買った事務所の同僚がいました。

当時の買値は、日本円にすると1000万円程度だったでしょうか。それが現在は、8億円ぐらいになっています。僕も買っておけばよかった……と悔やんでも、もう遅い。

シリコンバレーというIT産業の一大拠点を持つサンフランシスコは、お金持ちにしか住めない街になってしまいました。

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