JR仙台駅(宮城県仙台市)では、さとう宗幸さんの代表曲「青葉城恋唄」(1978年発表)をアレンジした発車メロディが流れている。当時無名の新人だったさとうさんの楽曲が、なぜ採用されたのか。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員・藤澤志穂子さんの著書『駅メロものがたり』(交通新聞社新書)から、国鉄時代のエピソードを紹介しよう――。
仙台駅の看板
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ご当地ソングがなかった仙台

東北新幹線でJR仙台駅に着くと、「青葉城恋唄」(作詞:星間船一、作曲:さとう宗幸)のメロディが聞こえてくる。弦楽器の豊潤な音色は、流れる川面を思い起こさせるような、仙台フィルハーモニー管弦楽団の生演奏による音源だ。

歌詞にある「広瀬川」「青葉城」「杜の都」の情景が浮かび、発車を知らせる鐘の音で締めくくられる。そのまま新幹線の旅を続ける旅行者には、ひとときの間、城下町・仙台を感じさせる癒しの時間だ。

仙台には長い間、不思議と「ご当地ソング」となる代表曲がなかった、という。市内有数の繁華街である国分町を歌った演歌も過去にはあったようだが、ヒットには至っていない。札幌や長崎などに比べると「歌にならない街というジンクスがあった」と研究家の山内繁さんは分析する(2023年4月4日付「河北新報」)。

いっぽう「青葉城恋唄」の歌詞は、市内を流れる「広瀬川」、東北三大祭りの一つである「仙台七夕まつり」、「青葉通り」「杜の都」と、仙台の名所旧跡をフルに紹介。シンガー・ソングライターのさとう宗幸さんによる、透明感のあるメロディと優しい歌声が、仙台のイメージを決定づけた。「この歌を聴けば仙台を思い、仙台を思えばこの歌が聞こえるという、ご当地ソングの代表格になった」(山内繁さん、同記事より)。

無名の新人、地方発で異例の100万枚を達成

「青葉城恋唄」は1978(昭和53)年5月発表、仙台を拠点に活動していたさとうさんのメジャーデビュー曲だ。地方在住の無名の新人だったが、仙台から人気に火が付き、シングル盤を100万枚も売る爆発的なヒットとなった。そのため、この時代を生きた人の多くは、きっと仙台というとこの曲という印象を今も持っているのではないだろうか。

藤澤志穂子『駅メロものがたり』(交通新聞社新書)
藤澤志穂子『駅メロものがたり』(交通新聞社新書)

実は、この大ヒットのきっかけはJR仙台駅(当時は国鉄)だったことは意外と知られていない。当時の駅長・米山晴夫さん(故人)が、郷土の若者の挑戦を応援しようと構内で曲をかけまくったのがその始まりだった。駅メロが持つ力の大きさを感じさせてくれる。

「当時の国鉄では、商業ベースに乗るようなことを勝手にやってはいけなかったはず。もしかしたら僕の曲をかけたことでお咎めを受けたのかもしれないけれど、毅然とした方でした。まさに英断。感謝してもしきれない。今もホームで一日に何回も流してもらえているのは、アーティスト冥利につきます」とさとうさんは振り返る。

さまざまな苦労を重ね、30歳近くなって遅咲きのデビュー、地方発で異例の大ヒットとなったドラマがこの曲にはあった。