マスコミが報じない能登半島“壊滅”被災地を歩く
能登半島地震から3カ月が経過した。依然としてライフラインの不通は続き、復旧・復興には、相当な年月がかかる見通しだ。筆者は3月中旬に現地の宗教施設の被災状況を取材。能登は「真宗王国」と呼ばれ、仏教に篤く、寺院の過密地域で知られる。だが、寺院や神社は「壊滅状態」。復興の目処すら立っていない。現地の様子をルポする。
輪島市・黒島漁港が消えていた。地震前まで海底であった場所が陸になっている。湾内に入ると、コンクリートの岸壁が、巨大な壁となって、そそり立っている。
巨大なテトラポッドが、アート作品のような巨大造形物となって目の前に立ち塞がる。海岸線は、数百メートルも沖側に移動していた。4メートル以上も地面が隆起したようだ。凄まじい地球のエネルギーに圧倒された。
漁港の向かいには、「天領黒島」と呼ばれる、歴史的景観を残す集落が広がっている。黒島は、黒瓦の屋根と、黒い板張りの民家で統一された「黒い集落」を形成し、江戸時代にタイムスリップしたような気分になる。
黒島は、室町期から明治期まで栄えた北前船交易(江戸から明治にかけて大阪と北海道を結んだ経済動脈)の要衝であった。そのため、江戸時代に幕府の直轄領「天領」として組み込まれた。北前船主を多く抱え、黒島は栄華を極めた。
黒島は2007(平成19)年の能登半島地震でも、多くの建物に被害を受けていた。復興を契機にして、2009(平成21)年には、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたが、再び、大地震で大きなダメージを負ってしまった。
家屋が倒れ、黒瓦や土壁が散乱している。集落には人気がなく、不気味に静まり返っている。それは、多くの人々が避難所生活を強いられていることを物語っていた。
震災前、黒島には167世帯282人(2023年11月)が暮らしていた。集落の中心には1社3寺がある。海運海産の守護神である若宮八幡神社、そして真宗大谷派の3つの寺院(福善寺、名願寺、永法寺)である。この小さな集落に、同門寺院が3つもあるのは、珍しい。