能登が真の復興のためには地域の紐帯である寺社の再建が不可欠

ギリギリのところで猛火が及ばず、焼けずに残った真宗大谷派寺院を見つけた。だが、庫裡や鐘楼堂は完全に押しつぶされていた。本堂はかろうじて立っているが、全体が大きく傾いている。

「住職は小松市に二次避難しております。いずれ輪島へ戻ります。(携帯電話番号)」。そう書かれた張り紙を見つけて、胸が締め付けられる思いになった。

輪島朝市の火災現場
撮影=鵜飼秀徳
輪島朝市の火災現場
撮影=鵜飼秀徳
輪島朝市の火災現場
撮影=鵜飼秀徳
輪島朝市の火災現場
撮影=鵜飼秀徳
輪島朝市の火災現場

輪島における最大の寺院が、曹洞宗の大本山總持寺祖院だ。石垣の一部が崩れていたが、一見すれば法堂(大祖堂)や山門、仏殿、坐禅堂などの主要な建物には、目立った損傷がないように見受けられた。だが、境内を回ってみると前田利家公の正室・お松の方を祀った芳春院は全壊。山門に向かって右手の回廊や水屋も倒壊し、ブルーシートが被せてあった。回廊は国の登録有形文化財であるため、むやみに瓦礫を撤去することもできない状態という。

總持寺祖院の回廊も倒れた
撮影=鵜飼秀徳
總持寺祖院の回廊も倒れた

門前町で、地震発生直後から炊き出しなどの支援活動に入っているシャンティ国際ボランティア会の茅野俊幸副会長(曹洞宗僧侶)によると、ここ門前町だけで町人口全体のおよそ4〜5割が被災したとみられるという。

富山湾側に位置する七尾市に向かった。七尾市には「やまてら寺院群」と呼ばれる寺町があり、すべての寺院が被災していた。

山の寺寺院群は1582(天正10)年に、能登領主・前田利家による小丸山城築城の際、各寺院に城の防衛の機能を持たせたのが始まりだ。現在、山の寺寺院群は無住寺院2カ寺を含む16カ寺ある。今に古きよき寺町の風情を伝えている。各寺院をつなぐ遊歩道が整備され、七尾にとっては貴重な観光資源になっている。

地震は午後4時6分(最大震度5強)と、同10分(最大震度7)に、立て続けにやってきた。

日蓮宗の妙圀寺住職の鈴木和憲さんは、新年参拝の対応を終えて、本堂の片付けをしている際に、大きな揺れに見舞われた。本堂に祀ってあった仏像・仏具はことごとく倒れた。山門や観音堂も倒壊。境内墓地の墓石も飛び跳ねるように吹き飛んだ。

七尾の妙圀寺も深刻な状況に
撮影=鵜飼秀徳
七尾の妙圀寺も深刻な状況に
撮影=鵜飼秀徳
七尾の妙圀寺も深刻な状況に
撮影=鵜飼秀徳
七尾の妙圀寺も深刻な状況に

ほどなく、大津波警報が発令され、津波の避難所に指定されていた妙圀寺境内には一時、地域住民40人ほどが避難してきた。その後、寺は支援物資の集積場にもなった。

本堂は隣接する別棟の御堂にもたれかかって、何とか支えられている状態に。鈴木さんはまだ44歳と若く、寺を手伝う妻と9歳の娘を抱えながらの被災となった。

そのため、鈴木さんは、「自分の生活や寺の片付けは後回し」になってきたという。妙圀寺は祈祷寺院であるため、檀家は20軒ほどと少なく、経済基盤が弱い。しかし、鈴木さんは立ちあがろうとしている。

「妙圀寺は私で34代目。過去には困難な状況もあったでしょうが、先代住職たちがその都度、乗り越えてきました。私たち夫婦はまだ若い。先のことを考えれば、何とか頑張れます。寺を閉じることは考えていません」(鈴木さん)

能登が真の復興を遂げるには、地域の紐帯である寺社の再建が不可欠だ。その道のりは険しく、長いものとなるのは間違いない。地域社会や仏教界だけではなく、国や行政、企業も巻き込みながら、「知恵」を結集していく必要があるだろう。

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