大谷翔平選手はスポーツ史上最高額となる10年7億ドル(約1015億円)でドジャースと契約した。MLBを取材してきたライターの内野宗治さんは「大谷選手が活躍するまで、『投手は通用しても、打者は難しい』というのが通説だった。その背景には、日本最高のホームランバッターだった松井秀喜選手が、MLBでは『地味な選手』と言われたことがある」という――。

※本稿は、内野宗治『大谷翔平の社会学』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

ナショナルズ・パークでのワシントン・ナショナルズ戦で、二塁打を放つロサンゼルス・ドジャースの指名打者、大谷翔平=2024年4月24日
写真=Sipa USA/時事通信フォト
ナショナルズ・パークでのワシントン・ナショナルズ戦で、二塁打を放つロサンゼルス・ドジャースの指名打者、大谷翔平=2024年4月24日

980万円からスタートした野茂英雄

アメリカで真にその実力が認められるためには、MLBで結果を残す必要があることは今も昔も変わらない。一方で、日本でプレーする日本人選手の「投資対象」としての価値は今日まで、ほぼ右肩上がりである。これまで多くの日本人選手がMLBで活躍し、日本球界の実力が認められるようになってきたからだ。

「日本人メジャーリーガーのパイオニア」野茂英雄は1995年、ロサンゼルス・ドジャースと契約を結んだが、メジャー契約ではなくマイナー契約で、年俸はたったの10万ドル(当時のレートで約980万円)だった。

近鉄バファローズ時代の年俸1億4000万円から、実に90%以上のダウンである。野茂には日本球界を「任意引退」したという特殊な事情はあったが、そもそも野茂がMLBで果たしてどれだけ活躍できるのか、ドジャースにとっては未知数だった。アメリカの野球ファンや関係者の多くが「日本で大活躍したからといって、メジャーで活躍できるわけがない」と思っていた。

「正統派」ではなく「変わり種」

しかし野茂は1年目からオールスターゲームの先発投手を務めるなど、堂々たる成績で新人王を獲得した。日本にもメジャーで通用する素晴らしい選手(少なくとも投手)がいることを、アメリカの野球ファンに知らしめたのだ。

その一方で、野茂の成功は「トルネード投法」というトリッキーな投球フォームと、メジャーリーガーが見慣れない「フォークボール」という珍しい球種によるもので、必ずしも一般的な日本人投手の実力が証明されたわけではない、という見方もあった。要するに野茂は「正統派」の投手ではなかったのだ。

模範的な美しいフォームで速球とスライダー、カーブ、そしてチェンジアップなどMLBの投手が多用する球種を投げるオーソドックスな投手ではなかった。「トルネード投法」「フォークボール」というユニークな飛び道具を武器にした野茂は、ナックルボーラーやサブマリン投手と同じような「変わり種」と見なされることもあった。