期待に応えられなかった松坂と井川

とはいえ野茂の成功を見たメジャー各球団はその後、1990年代後半から2000年代前半にかけて日本の投手を次々に獲得した。伊良部秀輝や大家友和、石井一久は先発投手として二桁勝利を挙げるシーズンもあった。長谷川滋利や佐々木主浩はリリーフ投手としてオールスターゲームにも出場した。

彼らは野茂以外にも優れた日本人投手がいることを証明したが、野茂ほどの強烈なインパクトを与える投手はいなかったことも事実だ。野茂は1996年と2001年にノーヒットノーランを達成するなど、依然として最高の日本人投手であり続けた。

その後も日本人投手のMLB挑戦は続いたが、ターニングポイントになったのは2006年オフ。日本球界を代表する先発投手である松坂大輔と井川慶が、それぞれレッドソックスとヤンキースという伝統球団に移籍した。レッドソックスは松坂獲得のために6年総額1億ドル(当時レートで約120億円)以上を費やし、日米の野球ファンを仰天させた。

松坂はメジャー最初の2年間で33勝を挙げ、野茂に代わる「日本人投手の顔」になったが、その後は故障と不振に苦しんだ。5年契約でヤンキース入りした井川に至っては、最初の2年間で計16試合に登板したのみで、その後はずっとマイナー暮らし。「ヤンキース史上最悪の契約」とまで称される始末だった。

松坂大輔(写真=Triple Tri on Flickr/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)
松坂大輔(写真=Triple Tri on Flickr/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons

全盛期の野茂を超えられる投手は現れず

松坂と井川の「不良債権化」により、日本人投手の株は下がったかのように見えたが、リリーフ投手は活躍していた。松坂と同じタイミングでレッドソックス入りした変則左腕の岡島秀樹、36歳でメジャー挑戦したドジャースの斎藤隆は、ともに2007年のオールスターゲームに出場。藪恵壹は2008年に39歳ながらサンフランシスコ・ジャイアンツの中継ぎ投手として60試合に登板した。

また、先発投手でも同年にドジャース入りした黒田博樹は、メジャー1年目から松坂以上に安定した活躍を見せた。一方、2009年にアトランタ・ブレーブス入りした川上憲伸は、2シーズンで8勝22敗と期待外れだった。

このように、日本人投手の成績はメジャーで一進一退の様相を見せており、また全盛期の野茂並みに圧倒的な活躍をする投手はなかなか現れなかった。そんななかで第二のターニングポイントとなったのが2012年1月のダルビッシュのMLB移籍だった。