約10年間で「日本人投手」がブランド化

前田は2020年にアメリカンリーグのサイ・ヤング賞投票で2位に入るなど、メジャー実働7年で65勝を挙げている。大谷は2021年から3年連続で、指名打者としてだけでなく投手としてもオールスターに選出された。

こうして振り返ると、ダルビッシュや岩隈らが大活躍した2013年からの約10年間で、MLBにおける「日本人投手」のブランドは確固たるものになったと言える。

その結果として今日、たとえばメジャーでまだ一球も投げていない山本がサイ・ヤング賞投手のスネルをしのぐ高評価を受けるに至っている。10年前だったらおそらく、ここまで高い評価は得られなかっただろう。

「日本の打者がメジャーで通用するわけがない」

日本人投手のレベルの高さは、今やアメリカの野球ファンの知るところとなった。では、日本人打者はどうだろうか?

野茂の渡米から6年後の2001年、イチローと新庄剛志が初の日本人野手としてMLBに移籍した。日本で7年連続首位打者のイチローが、シアトル・マリナーズと結んだ契約は3年1400万ドル(当時のレートで約15億円)。このとき、MLB選手の平均年俸は現在の半分以下だったが、それにしても控えめな数字だ。

「日本の打者がメジャーで通用するわけがない」という声も多く、日本球界の至宝イチローといえども最初から高額契約を勝ち取ることはできなかった。新庄に至っては、当時のメジャーで最低保証年俸となる20万ドル(約2200万円)でニューヨーク・メッツと契約した。こちらも日本球界屈指の外野手だったにもかかわらず、である。

イチローはメジャー1年目、首位打者、盗塁王、新人王、そしてMVPまで獲得する大活躍を見せ、日本人野手もメジャーで超一流の活躍ができることを証明した。しかし、野茂の成功は「トルネード投法」と「フォークボール」のおかげだという声があったように、イチローの成功にも批判的な声があった。

イチロー(写真=Andy Witchger/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)
イチロー(写真=Andy Witchger/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons