どうすれば「面白いトーク」ができるのか。放送作家の藤井青銅さんは「私はタレントさんに対していつも『オチなんか、なくたっていい』と伝えている。落語でもオチ自体はいいかげんなものが多く、むしろオチにいたるまでの部分が面白いケースが多い。もし『その話、オチは?』と聞かれることがあれば、オチがないのではなく、トークが面白くないのかもしれない」という――。(第1回)
※本稿は、藤井青銅『トークの教室 「面白いトーク」はどのように生まれるのか』(河出新書)の一部を再編集したものです。
日常会話に“オチ”は必要か
友達になにか話をしていると、たまに、「その話、オチは?」とツッコんでくる人がいます。とくに関西の人が多い。いや、これは偏見ですかね。関西芸人に影響された全国の人、でしょうか(これもまた偏見?)。
芸人同士の場合はそんな風にツッコむのも笑いを生みますが、芸人ではない普通のタレントさんに対して、私はいつも、「オチなんか、なくたっていいんですよ」と言います。誤解をしないように詳しく言っておきますと、「トークは、途中の話が面白ければオチはなくてもいい。もちろん、あってもいいけど」ということ。
たとえば、最後にアッと驚く大ドンデン返しの大オチがあるとします。しかし、そこに至るトークがえんえんと十分間退屈だったらどうでしょう? そんな話、聞く気になりますか? 逆に、途中のトークが面白かったら、最後は話の区切りさえつけばとくに大オチなんかなくてもいいのです。もう一回書きますが、あってもいいのですが。この話をする時に思い出すことが二つあります。「落語」と「欽ちゃん」。
まず「落語」から。落語は「おとしばなし」とも言いますから、たしかに最後に「オチ(通は気取って、サゲなんて言います)」があります。世の中の多くの人は、落語という芸は知っていても、落語を聞いたことがある方は、実は少ない。たいてい、テレビ番組「笑点」の大喜利くらいの認識でしょう。