私立校で理事長を務めていると、生徒の詫びによく立ち会う。見ていて面白いのは、「僕が全部悪かった。処分は受け容れます」と謝る生徒と、まず言い訳から始まる生徒がいることだ。
毎週マネジャー以上の者が集まる弊社外食部門の営業会議も同様。問題が起きたときに「私の責任」と謝る担当者と、「たまたま忙しかった」と責任を他に求める担当者がいる。どちらがあるべき姿かはいうまでもない。
お詫びというのは、たとえ相手に過失があったとしても、120%を自分の責任と捉えるところから始まる。すべて、ではなくすべて以上が自分のせい、と考えて初めて相手に心が通じる。
例えば、お店でお客さまに「いつもと味が違う」と言われた料理は、実際に味が変わっていなくても即座に取り替える。お客さまが間違っていようが構わない。我々の目的を、お客さまに気持ちよく帰っていただくことと考えれば、至極当然だ。まず強気に出て、後で落としどころを探るような駆け引きは、互いの信頼関係を損ねる。
お詫びして許されるかどうかは、実は事前に決まっている。遅刻常習犯の遅刻と、10年間無遅刻の者のそれとでは許され方が違う。人も企業も、普段どれだけ「信頼の残高」を積み上げているかが大切だ。残高のない者が何かを起こせば、マイナスからのスタートだ。ゼロに戻すのは時間が掛かる。
最近、弊社グループ製のトマトジュースの一部に品質不良が確認できた。すでに何万本も市場に出ていたが、判明した時点で即刻、全品回収した。このような対応をして初めて、「あの会社のものは大丈夫」「何があっても責任を取る会社だ」と認めてもらえる。
実際、弊社は万事にこのような対応をしているが、過大な補償問題に発展したことはない。海外との取引には、国内よりは注意が必要だろうが、契約書を持ち出すような争いには一度たりとも至っていない。最後は人と人、心と心だ。
もっとも、同じ過失を2度犯すのはただの技術不足。その過失を隠すのはもっと悪い。隠したことがわかったら、会社は終わりだ。情報は常に包み隠さず、相手が納得するまで説明しなければならない。最悪なのは、情報を調整して小出しにすることだ。