一党支配体制を敷く中国共産党とは、どんな組織なのか。ジャーナリストの池上彰さんは「第一次世界大戦後の対日運動から誕生し、当時の党員は都市部のインテリら約50人だった。彼らは『日本の侵略から中国の人民を解放した』を大義に掲げている」という――。

※本稿は、池上彰『歴史で読み解く!世界情勢のきほん』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

地図上で台湾をつかむ手
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山東半島を獲得した日本への抗議運動

現代の中国を率いる中国共産党が創設されたのは1921年。誕生してから100年が経っています。反日運動の中から生まれました。

きっかけは1919年5月4日です。当時の中国は帝国主義諸国の侵略を受け、山東半島はドイツが占有していました。そのドイツが第一次世界大戦で敗北したことから、中国の多くの国民が、山東半島が返還されると期待していました。

ところがヴェルサイユ条約(第一次世界大戦の講和条約)で山東半島はドイツから日本に引き渡されます。これに怒った中国の若者たちが街頭に出て抗議を繰り広げました。これが「五・四運動」です。この運動の盛り上がりの中から中国共産党が産声を上げるのです。

世界最初のコミンテルン支部だった

これより2年前の1917年、ロシア革命が起きると、当時の社会民主労働党(その後、ソ連共産党に)は、世界革命を計画します。世界を共産主義化してこそ、ロシアの共産主義も安泰になるという発想です。

この計画にもとづき、モスクワにコミンテルン(共産主義インターナショナル)が設立され、世界各地に支部を建設する方針を立てます。

五・四運動で若者の反日運動が盛り上がる中国にコミンテルン本部から2人のメンバーが上海に派遣され、1921年7月、コミンテルン中国支部が結成されました。これが中国共産党の創設です。つまり中国共産党は、コミンテルン中国支部でもあったのです。世界で最初の支部でした。

ちなみに翌年、世界で2番目となる支部が日本に設立されます。日本共産党の誕生です。