苦難の行軍を経て「毛沢東の中国共産党」誕生
その後、毛沢東は戦線を拡大するため山岳地帯を降りて新たな根拠地を築きますが、国民党軍の攻撃を受けて逃走を始めます。これを中国の公式の歴史では「長征」と呼びますが、要は家族を引き連れての逃避行でした。実に1万2000キロを移動しています。
この過程で大勢の仲間を失いますが、毛沢東は共産党の主導権を握り、1943年5月、中国共産党中央委員会主席に就任します。「毛沢東の中国共産党」が誕生したのです。
この長征は「苦難の行軍」とも呼ばれます。中国は、国家建設に当たり、困難に直面するたびに「苦難の行軍を忘れるな」をスローガンにするのです。
ちなみに、中国の宇宙開発のロケットには「長征」の名前がつけられています。
対日戦争では戦力を温存し、内戦で勝利
1937年7月、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まると、共産党は国民党と協力して日本と戦うことになりました。「国共合作」です。
ところが実際には、共産党軍は日本軍との戦闘を避け、国民党軍に任せて自分たちの戦力を温存する戦略を取りました。当時、日本軍と正面から戦って戦果を上げた共産党軍の将校は毛沢東から叱責を受ける始末でした。
1945年8月、日本が降伏すると、国共内戦が復活しますが、国民党軍は日本軍との度重なる戦闘で、すっかり疲弊していました。
一方、共産党軍はソ連軍からの武器の支援を受けて、内戦を優位に進め、1949年10月1日、毛沢東は北京の天安門の上に立ち、中華人民共和国の建国を宣言しました。
中国共産党は、「我々が中国人民を日本の圧政から解放した」と宣伝していますが、実相は異なるのです。「中国共産党の栄光の歴史」という歴史の偽造が行われているのですが、「日本の侵略から中国の人民を解放した」というのが中国共産党の大義です。中国が、しばしば反日の態度を示すのは、そもそも共産党の創設以来の歴史があるからです。