安倍晋三元首相が亡くなって1年を超える月日が流れた。安倍氏はどんな政治家だったのか。新著『安倍晋三実録』(文藝春秋)を書いた政治外交ジャーナリストの岩田明子さんは「安倍元首相はリアリストだった。たとえば『日本を守る』という最終目的のために緊密な日米関係を築く一方、中国やロシアなどあらゆる国との関係を深めた」という――。

議論の過程が見えない岸田政権

今年6月に上梓した『安倍晋三実録』は多くの反響があり、いただいた感想の中には「食事も忘れて一気に読んだ」といった声もありました。また、「安倍外交の真髄を知ることができた」と、特に外交の舞台裏について書いた部分を高く評価してくださる方もいます。

岩田明子氏
撮影=門間新弥
岩田明子氏

清和会の若手議員の一人からは「自分たちが安倍外交を引き継がなくてはいけないと思いを新たにした」とメールを頂戴しました。他方で、「われわれは理念に走りがちだけど、安倍さんのリアリストの面をもっと学ばなくてはいけないと思った」と話された議員の方もいました。重要な指摘だと思います。

ここ最近、率直に感じるのは、国際社会における日本の存在感の低下です。というのも、安倍政権の頃は、海外の新聞に“PM Shinzo Abe”とか“Japan”という文字を毎日のように目にしましたが、現在は“Japan”も“PM Kishida”もあまり見かけません。

内閣支持率の低下も気になります。異次元の少子化対策、防衛費倍増の財源など、結論は明確なのに、そこに至る丁寧な議論の過程が私たち国民に見えてこないことが原因かと思います。

物価上昇や、建築、救急車などでの人手不足問題など、社会機能の低下が肌で感じられるのに、政治が解決すべき国民生活に直結する課題は山積みのままです。

安倍氏が岸田政権について語ったこと

第2次安倍政権(2012年12月~2020年9月)もゴールが見えてきた頃、安倍さんが後継となる首相について、電話で口にした一言が印象に残っています。

「安倍政権は、波風を立てながら、物事を前に進めていく、毒気の強い政権だったといえる。もしも岸田さんが総理になったら、少しほっとする感じの政権になるかもしれないね」

2021年9月、岸田政権がスタートすると内閣支持率は上昇、その後しばらく高支持率が続いていました。

安倍さんは「ご祝儀相場とはいえ、岸田さんの人徳なのかな」と不思議そうに話していました。

岸田総理は、総理に就任する前年、お母さまを亡くされています。「人が亡くなるときは、その人にとって大切な人の苦労も持って行く、という話を聞いたことがある。助けられた時こそ、徳をもって、謙虚に努めなければならないね」と安倍さんは話していました。

こうした類の言葉は、第2次政権がスタートした頃から、安倍さんの口から出てくるようになりました。「ポストや権力は天からの預かりもの」とまるで自戒するかのように、よく語っていました。岸田さんについても、謙虚さと「聞く耳」を忘れてはいけないと心配したのだと思います。

第1次安倍政権(2006年10月~2007年9月)の頃は、安倍さんは“政界のプリンス”であり、若くしてトップに登りつめたと自負している印象がありました。ところが2007年に潰瘍性大腸炎の悪化で総理大臣を辞任。“雌伏の5年間”を経験してからは、まるで別人のように変貌を遂げました。