「維新の党首になっちゃえばいいのに」

当時の私は、安倍さんが5年後に再び総理大臣になるとは想像だにしませんでした。むしろ、復権はないと確信していました。2012年に橋下徹さんや松井一郎さんが安倍さんに新党(日本維新の会)への合流を打診したと聞いたときは、「またとないチャンスでは?」と言ってしまったぐらいです。

自民党総裁室をあいさつに訪れ、安倍晋三総裁(右から2人目)と握手する日本維新の会の橋下徹代表(左)=2012年10月15日、国会内
写真=時事通信フォト
自民党総裁室をあいさつに訪れ、安倍晋三総裁(右から2人目)と握手する日本維新の会の橋下徹代表(左)=2012年10月15日、国会内

病気が理由とはいえ、1年で総理大臣が交代する事態を招き、2年後には自民党が野党に転落したのですから、安倍さんは大きな十字架を背負ってしまったわけです。

他社の番記者が離れていく中、それでも私が取材を続けたのは、安倍さんが政治家人生を終える最後まで見届けるのが責務だと思ったからです。

「雌伏の5年間」による安倍氏の変化

安倍さんは雌伏の5年間で、様々な分野の人と会い、政策を練り上げ、人生観や人との接し方など、大きな変化を遂げました。かつてのつっけんどんな態度は消え、誰にでも親しみやすい印象を与えたと思います。取材を受ける場合も、自身の考えを一方的に話すのではなく、記者や質問の背景を知ろうとする姿勢が感じられました。

企業の経営者が集まる会議にもよく顔を出していましたが、ただ出席するだけではなく、一人ひとりのバックグラウンドや政治に求めることを知ろうと、安倍さんからいろいろ質問していました。次に会ったときも、相手の名前やストーリーを忘れておらず、安倍さんから「あれから業績はよくなったの?」などと個別に尋ねる。経営者の皆さんからは「安倍さんが自分の話を覚えていてくれた」という感想をよく耳にしました。

苦しい5年間で、人間としての幅や政治家としての厚みが増したのだと思います。