日本人はなぜ投資に消極的なのか。経済コラムニストの大江英樹さんは「日本人は『労働こそ美徳』という価値観が強く、それゆえ『投資で得た金は不労所得だ』と思い込んでいる。だが、これはお金の本質を根本的に誤解している」という――。

※本稿は、大江英樹『90歳までに使い切る お金の賢い減らし方』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

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写真=iStock.com/Vanessa Nunes
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日本人が投資に持つ根本的な誤解

日本人の多くが投資には興味がないし、投資もしていないという現実。

これには、投資が難しそうでよくわからないということもあるでしょう。ホンネでは儲けたいけど、タテマエではそれを表に出さない。だから投資には興味ないフリをしているけど、本当はよくわからないから、やりたくてもやれないという気持ちはあると思います。

でもそれ以上に私が感じているのは、多くの人が、「投資」ということの本質を、根本的に誤解しているのではないかということです。

日本人は誰もが、心の中に「働くことは尊い」という強い倫理観や道徳観を持っています。私自身は、日本人の多くが優秀だとも、生産性がそれほど高いとも思わないのですが、多くの人が、「日本人は優秀で勤勉だ」と言います。

その背景には、「労働が尊いこと」という感覚があり、それゆえに日本人が勤勉なのだと思い込もうとしているように見えます。

たしかに、欧米人と日本人の労働に対する感覚の違いはあるようです。

欧米人にとっては「労働は罰」

キリスト教においては、アダムとイブが禁断の果実を食べてしまうという罪を犯したために楽園から追放され、人類は“働かなければならない”という罰を神によって背負わされました。つまり、「労働は罰」というのが基本観にあるわけです。

これに対して我が国の場合、八百万やおよろずの神がいるわけですが、その最高神は天照あまてらす大御神おおみかみです。で、彼女は何をしているかというと、高天原たかまがはらで機織りをしているんですね。最も労働集約型産業である機織りですよ。そして他の神様もみんな働いています。これはキリスト教やイスラムの人たちから見れば驚くべきことなのではないでしょうか。

「働くことは尊いこと」「労働は美徳」という考え方は、おそらく日本人のDNAの中に深く刻み込まれているのだと思います。

このこと自体は別によいのですが、問題は、働くことや労働とはいったいどういうことなのだろうかという認識にあります。