犯人にとって何が「最も苦しい」のか

私が「心の平安」に関する質問をしたことで、彼らはこの時になって初めて自問自答している様子だった。内面に潜んでいた無意識が、言葉という形で表されたようでもあった。それは、彼らでさえ知り得なかった本心のように思えた。

2人の率直な言葉は、私の思考をぐらりと揺さぶった。殺人事件の遺族でも、死刑を望んでいるわけではないのか。彼らが発した一語一句の深部には、その思いが隠されているような気がした。私は、もう一度確認したかった。

「武子さんのような酷い殺され方なら、遺族は、何が何でも犯人の死を求めていると思っていたのですが、それは……」

そこまで語ると、奥の方から真っ先に「それはそうです」と漏らす麻奈美の声が聞こえた。その後、勇一が険しい表情を見せながら言った。

「その思いは変わらないですよ。要は犯人が、死ぬ死なんよりも、苦しみを受けろと。それが死刑(の執行)がいつ来るのか分からんという恐怖に慄くのか、一生普通の生活ができないか、どっちのほうが苦しいのかということです」

そこには、死をもって償わせるべきという響きは、必ずしも含まれていなかった。しつこいようだが、さらに突っ込んでみる。

「となると、苦しむならどんな手段であれ、それを肯定したいということですか」

重雄が「そうですね。むしろそうですね」と肯いた。勇一も、「そうです、そうです」と首を縦に振り、「それがずっと塀の中におることなのか、いつ死が来るか分からない苦しみということなのか」と考えを整理した。

絞首刑執行人の締めなわ
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「犯人が死ねば苦しみはなくなってしまう」

彼らの処罰に対する考え方が、何となく分かってきた。私はさらに質問を重ねる。

「死んでしまえば、もう相手を苦しませることはできないですよね」

すると重雄が「そうなんです、そこなんです。だから言われる通りなんですわ。だから死刑になったら、そこで相手の苦しみはなくなるし、我々も空虚になるだけですよね」と言った。「無期懲役を楽しむもんなんかはおらんと思うので、その苦しみが続く分だけ、刑としてはきついのかなと思います。死刑をなくすけれど(仮釈放のない)終身刑に置き替える。それやったら考えられんことはないですね」

勇一も、「西口が生きていようが死んでいようが、ずっと恨みっぱなし。できることなら、生きている間は肉体的にも精神的にも苦しめと思っています」というのが行き着く先の答えのようだった。