2019年4月、東京・東池袋で2人が死亡、9人が負傷する事故が起きた。この事故の加害者家族に話を聞き、『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)を書いた阿部恭子さんは「加害者家族は自分が起こした事故のように罪責感に苦しんでいた」という――。(第2回)
※本稿は、阿部恭子『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。
「人殺し!」という声が響き渡った法廷
「人殺し……、人殺し!」
2021年2月、東京地方裁判所102号法廷。被告人が退廷している最中、中年女性の声が法廷に響き渡った。被告人席の目の前の傍聴席にいた私は、まるで後ろから矢を打たれたように、一瞬、息が止まる思いがした。「そこの人、発言を控えなさい!」職員が口々に、叫んでいる女性の発言を止めるよう叫び、法廷は一時、騒然となった。
2019年4月19日、東京・東池袋で当時87歳の被告人・飯塚幸三が運転していた車が暴走し、2名が死亡、9名が負傷する大惨事となった交通事故の刑事裁判。私は被告人である彼の目の前の特別傍聴席にいた。被害者とその家族、支援者、そして多数の報道陣が記者席に詰めかける中、私は針の筵に座る思いだった。
毎回、公判期日の前日は一睡もできず、緊張のままその日を迎えていた。重大事件とあって法廷は厳戒態勢が敷かれ、傍聴人の入廷から出廷まで複数の職員が対応していた。私はいつも、何か起きたら助けてほしいとの思いでそばにいる職員を確認し、席についた。
事故を起こした責任を取ると遺書を残して自死した加害者、息子が起こした死亡事故に、自責の念に堪えられず自死した加害者の母親、父親が交通事故を起こして自ら命を絶ち、生活困窮から一家心中を考えたという加害者家族……。交通事故の加害者家族は想像以上に過酷な状況に置かれてきた。
ある日突然、一瞬の気の緩みから人命を奪ってしまった瞬間、「人殺し」「犯罪者」と呼ばれる。突然、重い十字架を背負うことになった加害者家族からは、後悔と無念の思いが語られてきた。