定番化したネットの大論争「カップ麺は節約か否か」
インターネットやSNSで定期的に大きな論争になるテーマがある。「コンビニでカップ麺を買うのは節約にあたるか否か」である。
つい先月のツイッターでも、貧困問題に取り組む方がこのテーマを口にしたところ、激しい批判が起きて「炎上」状態となり、そのまま大激論となった。
昼食代を節約しようとカップヌードルを買ったら231円。思わずレジの金額表示を三度見した。
— 小林美穂子 (@xiaolinmeisuizi) September 24, 2022
路上で暮らしながら空き缶や段ボール収集で雀の涙ほどの現金収入を得る人、ビッグイシューの雑誌販売者が量販店で100円のカップ麺を夕飯にしていたのを知っている。今後はカップ麺も高級品になるのか。
節約するため、昼食にカップヌードルを買ったところ、価格が231円で3度も金額表示を見た、という内容のツイートに対して人びとから“貧しさ”の現実に即していないといった主旨の批判や非難の声が相次いでいた。
「貧しい人はカップ麺ではなく安い袋麺を買う」
「レジ行く前に値札見るだろう」
「コンビニよりスーパーの方がカップ麺を買うにしてもいくらか安い」
「普段から節約する人からすればありえない感覚」
「貧乏人の解像度が低い」
こうした厳しい意見がずらりと並んでいた。「私は貧乏だが、コンビニでカップ麺など買わずこうしている」といった個人的な生活術とその実践も添えられながら。
しかしながら、コンビニでカップ麺を買うことを節約として考えることについて、「貧乏人のことを知らない」とか「貧困のことを理解していない」とは私はまったく思わなかった。語弊を恐れずにいえば「貧乏人の解像度が低い」のは、どちらかといえばこの投稿者に怒りのコメントを寄せている人のほうなのではないかとさえ感じた。
というのも、スーパーではなくコンビニを積極的に利用し、200円以上するカップ麺を買っている貧困層は架空の存在ではなく、ごく普通に存在するからだ。
「コンビニでカップ麺を買う貧困層」という、一見すると矛盾した消費行動をとる人びとがいる理由、それはかれらが「スーパーで特売の袋麺をまとめて買うほうがお得(合理的)である」といったコンセプトをそもそも持っていないからである。