被害経験のない専門家の論理は「机上の空論」

重雄も、息子の発言に付け足すように、こう言った。

「社会常識のある人間として、そういう発言が不適切だということを十分に分かった上で、それでも被害者の遺族としてはこうだよ、ということになりますかね」

その言葉には説得力があると思った。2人は、ただ感情に流され、怒りや暴言を吐き散らしているわけではないのである。彼らが罪と罰を天秤にかける上で、被害に遭った経験のない専門家が語る論理は、「机上の空論でしかない」と批判した。

麻奈美は、壁際でずっと聞き役に徹していたが、本当はもっと伝えたいことがあるのではないかと感じた。私は、彼女が不適切な発言をしても、聞き入れる用意があった。心理学者でも臨床心理士でもないが、麻奈美の表情は、実に多くを物語っているように見えた。

死刑か、仮釈放なしの終身刑か

もう3時間が過ぎていたが、そろそろ私が答えを探し続けてきた核心部分に迫ろうと思った。

「もし西口の死刑が執行されたら、心の平安は訪れると思いますか」

この話を被害者遺族の口から直接聞くために、日本でどれだけの時間を要したことだろう。まず、重雄が頭を捻り、こう言った。

「ひと段落したと思うでしょうね、きっと」

次に勇一が口を開いた。

「死刑で完了した、良かった、とじっくり考える暇もないでしょうね。休みなく仕事しているし、日曜日と祝日以外は休みがないんでね」

私は、心の深部を知りたかった。もう少し具体的に聞くべきだと思った。

「もし、遺族の心に平安が訪れないとなると、死刑は何のためにあるのでしょうか」

そう訊くと、勇一の答えが返ってきた。

「僕の中では、何も解決しません。西口が死のうが生きようが、母親は帰ってこないわけですからね」

意外な言葉に困惑しながら、すかさずこう訊いた。

「ならば、死刑でなくとも、仮釈放のない終身刑という考え方もあると思うのですが」

すると重雄からも、私の想像を超える意見が返ってきた。

「それやったら、まだ分からなくないです。その代わり恩赦がなく、死ぬまで監獄生活。拘置所のほうがうまいご飯も食べれるし、環境も良いというじゃないですか。ですから、そうでない悪い環境の中で一生暮らすなら、いいんやないですか。一瞬にして死刑を受けるよりも、きっと苦しくて、それが死ぬまで続くことを考えればですがね」

勇一も、「今の制度やったら、無期懲役でも出てくる可能性があるので、懲役368年みたいに、絶対に出られへんというならね」と父親に共感した。彼も仮釈放がない終身刑であれば納得できるという思いがどこかにありそうだ。