工場モデルの欠点①――「スキル明確化」の困難

最初に、工場モデルの欠点は、「必要なスキルを明確化」することをリスキリングのスタートに置く点です。

すでに述べたとおり、現在のリスキリングは、「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」というさらに広義なバズワードと紐づいています。工場モデルの発想とこのDXという経営課題が結び付くと、「リスキリングのためにはまずはDX戦略を明確化し」、「DXに必要な人材の像や必要なスキルを明確化することが必要だ」という議論がまことしやかに語られることになります。

しかし、この「スキルニーズの明確化」をスタートに置く時点で、リスキリングの議論は現実味の無い、「教科書的なきれいごと」へと墜ちていきます。

チャールズ・A・オライリーらによる『両利きの経営』論を持ち出す必要もなく、不確定要素に対する「探索」的な経営行動であるDXについて、スキルや能力の「正確な鋳型」が作れるはずはありません。各社のDXが非連続的で革新的なものであろうとすればするほど、「どんなスキルが、どんな規模で、いつ必要になるか」は、ほとんどの企業において「神のみぞ知る」領域です。

この「スキル明確化」論が現実的でないもう一つの理由は、マーケットにおけるスキル需要の変化速度に適応できない発想だからです。リスキリングにおいて各社がこぞって学ばせようとしているデジタルの領域のスキルこそが、技術的なアップデートが極めて速い領域です。「スキル明確化」は、リスキリングのプロジェクトをスタートさせるための目標調整といった「内に閉じた」機能は持ちますが、結局正しいかわからない作業に思考とリソースを割くのは、非本質的です。

工場モデルの欠点②――学びの偏在性

第二に、工場モデルは、「学ぶ人しか学ばない」という学びの偏在性を解決できません。

「必要なスキル」をどれほど正確に示されたとしても、それだけで個人の学びへのモチベーションが上昇するわけではありません。学校が「目指す生徒像」と「一週間の授業表」を精緻に作り、教室の壁紙に貼っておきさえすれば生徒のやる気が引き出せると考える教師などおそらくいませんが、なぜかリスキリングの話になるとそうした論法が蔓延はびこります。

先ほど見た通り、国際的には「勤勉」のイメージで知られる日本人は、社会人になったとたん国際的にも圧倒的に「学ばない国民」となります。ビジネスの現場では、組織の中の人材の割合を示す時に、「2:6:2」という言葉がよく用いられます。組織には意欲的に働く優秀層が20%いて、普通に働く層が60%いて、意欲やパフォーマンスの低い層が20%いることを示す言葉です。その中で、学ぶのは常に「上の2割」だけであり、「残りの8割」が学んでくれない。リスキリング課題の多くは、この問題に集約されます。

オフィスの机に脚を載せ、スマホでゲームに興じるビジネスマン
写真=iStock.com/Tero Vesalainen
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これこそが「学びの貧困国」である日本においての最大の課題とも言っていいのですが、スキル明確化を出発点にし、個へのスキル注入に重点を置く「工場モデル」は、この問題を全くカバーできません。