「36親等から38親等」天皇と隔たりある養子
麻生太郎自民党副総裁を中心に進められてきた皇室典範の改正が、最終段階を迎えた。
法案の審議が進むなか、衆議院の議院運営委員会で、宮内庁の緒方禎己次長が行った答弁は、大きな波紋を呼んだ。
緒方次長は、今回の改正で可能になる旧宮家からの養子は、今上天皇と「36親等から38親等の隔たりがある」と述べたからである。
11の旧宮家はすべて伏見宮家からはじまるもので、北朝第3代の崇光天皇の皇子であった栄仁親王が初代の当主であった。それが室町時代のことだというのはすでに伝えられてきたが、改めて数字を出されると受ける印象は大きく違う。
「旧宮家とは、天皇家にとってまったくの“赤の他人”ではないか」
そう考えた人たちも少なくないはずだ。それほど天皇家と旧宮家の関係は希薄なのだ。
戦後に役割を終えた「世襲親王家」
ただ、戦後に旧宮家の人々が臣籍降下するまで、旧宮家は天皇家やほかの宮家と婚姻関係をくり返し結んできた。
それも、伏見宮家が桂宮家、有栖川宮家、閑院宮家とともに、天皇に世継ぎがいないとき、代わりに天皇を出す「世襲親王家」と位置づけられてきたからである。
いま挙げた宮家の名前を聞いて、「伏見宮家以外、話題になってきた旧宮家に含まれないではないか」と思う人もいるだろう。なぜなら桂宮家は明治に、有栖川宮家と閑院宮家は戦後に廃絶してしまっているからである。
これは、世襲親王家が役割を終えたことを意味している。伏見宮家も現在の当主に男子がいないため、断絶が見込まれている。
残っているのは、明治期に誕生した新しい宮家ばかりである。
今回の皇室典範の改正について、新聞各紙は、保守的な傾向の強い産経新聞を除いて、こぞって反対した。今上天皇でさえ、それに異議を申し立てたかのような発言をした。
それも、旧宮家の人々と現在の皇室との関係がいかに薄いものであるかが改めて浮き彫りになったからである。
そんな、赤の他人が皇室に入れるものだろうか。しかも、旧宮家の人々は、臣籍降下して一般国民になってから代を重ねている。
果たしてそうまでして、養子をとる必要があるのか。誰もが不可思議な思いにかられるのである。

