「聖書には、神様が男と女を作ったと書いてある」
【池上彰】安倍元総理の銃撃事件を機に、容疑者の動機であるとされている旧統一教会(現在の世界平和統一家庭連合)の問題がクローズアップされています。旧統一教会は「家庭」を重んじるという教義からか、反LGBTを掲げ、地方を含む政界に政策や教育でLGBTの問題を容認しないよう働きかけています。増田さんが取材してきた欧州でも、人々の反リベラル、反LGBTという傾向が強まっているそうですね。
【増田ユリヤ】取材に行くと、「同性愛や、トランスジェンダーなどは容認したくない」という人々の思いに接することがあります。8月に行ったルーマニア取材では、トランシルバニア地方のブラショフという街を訪れました。この町は元々ザクセン人、つまりドイツ人が作った町で、ドイツ人のほか、ルーマニア人、ハンガリー人が住んでいるという民族的に入り組んだ土地なのですが、この地で民族問題に真剣に取り組んでいる、キリスト教・カルヴァン派の牧師さんに話をうかがったのです。
相手がまず「あなたはどんな取材をしてきたのか」と尋ねて来たので、私が「民族問題はもちろん、世界の右傾化や選挙、多様性など、日本ではなかなか取り上げられないテーマについて取材してきました」、と答えると、その牧師さんが滔々と、「聖書には、神様が男と女を作ったと書いてあるんだ」と話し始めて止まらなくなりました。
頭では理解できるけれど、気持ちが追い付かない
【池上】「聖書に書いてあることと違うから、性の多様性は認めない」と?
【増田】いえ、そういう言い方はせず、あくまでも「聖書にはそう書いてある」「世の中とはそういうものなんだ」と。表立って「LGBT容認に反対する」とは決して言いませんが、「世の中にはいろいろな考えや立場があるだろうけれど、自分は自分の考えに基づいてこれからもやっていく」と主張するんです。延々と1時間半、その話をされたんですね。そこで私は、「そうか、自分が信じてきた世界、つまりこの世に存在するのは、男性と女性だけなのだという前提は、人によってはここまで強固なものなのだな」と感じました。
日本では、内心はどうあれ多くの人が「多様性を認めなければならない」と言われれば賛成しますよね。学校の制服や水着なども考慮される動きが強まっていますし、一部には反対する人がいても、社会としては多様性を認める方向に、既に舵を切っています。
しかし宗教的規範が習俗や思想、思考に根付いている人たちにとっては、もともと持っていた常識の基盤が信仰と結びついているだけに、それを覆されることをよしとしない。もちろん世界的に、LGBTを認めるべきだという流れが強まっていることは彼らも知っています。現に同性愛者や、心と体の性別が異なる人たちが存在することも知っている。「でも自分としては認められない」と強く主張して、曲げないんです。取材したのは牧師さんでしたから余計にその思いは強いでしょうが、そうでない人々の中にも、「頭では理解できなくもないけれど、気持ちが追い付かない」と率直な感想を漏らす人たちがいます。