なぜ大企業の本社は東京に集中しているのか。大阪大学大学院の山本和博教授は「知的な生産活動を行うには、リモートワークよりも集まって仕事をしたほうがいい。地方に本社機能を移転させる企業が増えていくということは考えにくい」という――。(第1回/全2回)

※本稿は、山本和博『大都市はどうやってできるのか』(ちくまプリマー新書)の一部を再編集したものです。

東京の高層ビル街
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古代から大都市は知識やアイデアの中心地として機能してきた

大都市の重要な機能の一つは人々が直接出会う機会を数多く設け、知識やアイデアの受け渡しを容易にすることです(face to face communication)。都市が知識やアイデアの受け渡しの場として機能してきたことには多くの例があります。ここでは、エドワード・グレイザーの『都市は人類最高の発明である』に挙げられた二つの例を見てみましょう。

一つ目の例は、紀元前5世紀頃に全盛期を迎えた古代ギリシャの都市、アテネです。紀元前5世紀のアテネはワイン、オリーブオイル、パピルスの交易で栄えていました。紀元前5世紀の前半には小アジアではペルシャ戦争が起こっており、戦災を避けるために多くの知識人がアテネに集まって来ました。ペリクレスはアテネの民主制を完成させましたし、ソクラテスは独自の問答法で多くの友人や弟子たちに大きな影響を与えました。

プラトンやアリストテレスなど、ギリシャ哲学の巨人たちは軒並みソクラテスの大きな影響を受けています。この時期のアテネではギリシャ哲学だけではなく、悲劇や喜劇、歴史書も誕生しました。アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスは三大悲劇詩人として知られていますし、アリストファネスは喜劇詩人として有名でした。

ヘロドトスは、『歴史』をまとめ上げ、歴史の父と呼ばれました。また、アテネはユークリッド、テアイテトス等、多くの数学者を輩出しました。このように、地中海世界の至るところから多くの学者や芸術家がやってきて、アテネという1カ所に集まり、それぞれが持つ知識やアイデアを他の多くの人々と交換し、共有していました。

学者や芸術家の交流は、次々と新しいアイデアを生み出していきました。知識やアイデアは、人々の交流の中で人から人へと移動し、その中で新しいアイデアが誕生するのです。