※本稿は、いのうえせつこ著、山口広監修『新宗教の現在地』(花伝社)の一部を再編集したものです。
2歳児と3歳児の子供を持つ母親信者との出会い
1994年、私は一人の女性に会った。
「相談者の彼女は、11月末の気温が低い日にもかかわらず、白いレーヨンのブラウスとスカートにソックスという服装だった。白いブラウスも紺のスカートも古びていて、リサイクル・ショップでも売っていないような代物だった。
化粧っ気のない顔は、30代半ばにしては精気がなく、ショートの髪も油っ気がなかった。白いソックスもうす汚れていて若々しさが感じられず、時々、貧乏ゆすりをする脚は年齢より老けて見えた」
「東北地方のある国立大学在学中に原理研究会にさそわれて入会」した彼女は、すぐに統一協会の信者となる。その後、合同結婚式に参加。3歳と2歳の子どもの母親となった。
その女性は、合同結婚式で出会った相手について、「自分の好きな男性のタイプではなかった」としながらも、「『本当の幸せは、間違いのない正しい結婚から始まります』という統一協会のパンフレット通りの生活を始めた」のだという。
教祖に関する内部告発に信仰の気持ちが揺らぎ始めた
ところがある日、女性は一冊の本に出会う。統一協会創立者の一人である朴正華による、『六マリアの悲劇』である。そこには、教祖・文鮮明が、「神と称する文鮮明が人妻を奪って財産を捲きあげたり」「“復帰”という名のセックスを多くの女性食口(しっく、信者のこと)とかわしたり」してきた等々の内部告発が綴られていた。
しかしこれを読んだ時点での彼女は、「18歳の学生時代から今日まで統一協会の霊感商法などで働きに働きづめで身体はもうガタガタ」の状態であった。
霊感商法の他にも、「身体障がい者のために」「○○難民のために」「残留孤児のために」という名目で募金活動もしてきたという。統一協会側からは、「保険の勧誘員にでもなって、金を稼げ」と言われたこともあった。
当時の統一協会は、桜田淳子たちが合同結婚式に参加したことで、霊感商法の実態などがマスコミに叩かれ、信者たちは売上を伸ばすのに苦労していた。