後編は、義母につらく当たられながらも同じ敷地内に住む義父を看取り、続いて義母を介護することになりそうになったが、義母の妄言のため、佐倉さんは義母の介護一切から手を引く決断をする。どのようにして介護から逃れたのか。義母の介護は誰が担ったのか――。
認知症の義父
佐倉美香さん(50代・既婚)の義父は心筋梗塞で入院したものの幸い1カ月で退院できたが、その間に認知症は一気に進んだ。
自宅に帰った義父は、台所用漂白剤を、「毒薬や! 警察に連絡せんとあかん!」と興奮したり、台所の洗い場下の収納の中に潜って「地球の源泉が溢れている! なんとかせんとあかん!」と叫ぶなど、常軌を逸した行動を連発した。
「自宅だけで看るのは到底無理」と判断した佐倉さんは、介護認定を依頼するが、申し込んですぐに結果が出るわけではない。2〜3カ月後にやっと要介護1と結果が出ると、義父は週2日デイサービスに通い始めた。
「世間体を気にする義母は、『施設なんてみっともない』と思っていたようです。自分自身も、最後は施設から施設へとなるのに、見栄ばかり。義父の施設選びも優先すべきは、“過ごしやすいところ”ではなく、“近所の人に会わないところ”でした」
佐倉さんは2人の子供が小学校に上がると再び働き始めた。ヘルパー2級を取得し、ホームヘルパーを約5年経験した後、事務員として働いていたが、義父のデイサービスの日は、佐倉さんが仕事を早めに切り上げて、自宅で送迎バスを待った。
ところが、バスで帰宅した義父は毎回、「施設に荷物を忘れた!」「印鑑を忘れた!」と叫んで、道路に飛び出そうとする。施設の送迎スタッフは、玄関に義父を押し込むと、ダッシュで車に戻り、その後に佐倉さんが立ちはだかって、義父の逃亡を阻止しなければならなかった。
何とか座らせてお茶を飲ませるまで毎回30分はかかるが、義母はいつも遠巻きに眺めていて、落ち着いた頃に義父にだけお茶を入れてくる。立ちはだかる佐倉さんの両腕は、毎回義父に強く握られるため、常に指の形にくっきりアザが残った。