今回は、義母につらく当たられながらも同じ敷地内に住む義父を看取り、続いて義母を介護することになりそうになったが、義母の妄言のため、義母の介護一切から手を引いた50代の女性の事例だ。彼女はどのようにして介護から逃れたのか。義母の介護は誰が担ったのか――。
夫との出会い
大学を卒業して3年目の1989年、中部地方の県立高校で期限付き講師をしていた佐倉美香さん(現在50代)は24歳になっていた。ある日、見合い相手を探していた上司を助けるために、地元男性とのお見合いを引き受けた。
相手は30歳の地方公務員。1年の交際期間を経て、1990年春に結婚した。
「(警察官になるべく、お見合い直後に入校した)警察学校での生活が窮屈で不自由だったため、週末ごとに連れ出してくれる夫が天使に見えてしまったのが(見)間違いでした……」
結婚後は、当時64歳の義父と58歳の義母とが暮らす“母屋”と同じ敷地内にある“離れ”で結婚生活をスタート。離れは高校教師だった義父が60歳で定年退職したことを機に、息子が結婚したら住むようにと建てたものだった。
2年後、佐倉さんは長女の妊娠がわかった後も、2つの市を跨いでで警察職員として働いていたせいか、妊娠中毒症が悪化し、ドクターストップがかかる。それを上司に伝えると、「休むのなら(入院するなら)、一生休んでもらってけっこう!」と一言。
そのため佐倉さんは、産休に入るまでは出勤し続け、産休を取得できる出産予定日の6週間前になるや否や即入院。無事、出産できたものの、出産直後に腸閉塞に。夫は友人とスキーに出かけており、佐倉さんの初産に立ち会ったのは実母だけ。医師は、「娘さんが亡くなられたら、赤ちゃん(孫)はどうされますか?」という話を実母にしたほど、佐倉さんは重篤な状態に陥り、生死の境をさまよった。
しかし、なんとか1カ月後には退院でき、念のため実家で1カ月療養してやっと帰宅。2〜3日は義母が食事などの世話をしてくれたが、その後は通常モード。慣れない育児と家事に追われた。
その間、夫はしょっちゅうスキーに出かけていた。佐倉さんの初産に立ち会ったのは実母だけだったのだ。
「夫は若い頃から三度の飯よりスキーが大好きで、長女の出産のときも、長男の手がかかる時期も、しょっちゅう友人たちとスキーに行っていて不在。そもそも『自分が子育てをする』という頭がないので、自分が好きなタイミングで好きなだけスキーに出かけており、私たちママ友の間では“山は白銀パパ”と呼ばれていました」