24歳の女性はお見合いした公務員の男性と交際1年後に結婚。義両親と同じ敷地内の母屋と離れで別々に住むことに。「公務員の妻」として何不自由ない暮らしが待っているかと思いきや、夫は育児家事に非協力的で、姑にもいびられる。姑の尻に敷かれて言いなり状態の舅は精神的な病になるが、その看病も嫁に丸投げされた――(前編/全2回)。
妊娠中の女性
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないに関わらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

今回は、義母につらく当たられながらも同じ敷地内に住む義父を看取り、続いて義母を介護することになりそうになったが、義母の妄言のため、義母の介護一切から手を引いた50代の女性の事例だ。彼女はどのようにして介護から逃れたのか。義母の介護は誰が担ったのか――。

夫との出会い

大学を卒業して3年目の1989年、中部地方の県立高校で期限付き講師をしていた佐倉美香さん(現在50代)は24歳になっていた。ある日、見合い相手を探していた上司を助けるために、地元男性とのお見合いを引き受けた。

相手は30歳の地方公務員。1年の交際期間を経て、1990年春に結婚した。

「(警察官になるべく、お見合い直後に入校した)警察学校での生活が窮屈で不自由だったため、週末ごとに連れ出してくれる夫が天使に見えてしまったのが(見)間違いでした……」

結婚後は、当時64歳の義父と58歳の義母とが暮らす“母屋”と同じ敷地内にある“離れ”で結婚生活をスタート。離れは高校教師だった義父が60歳で定年退職したことを機に、息子が結婚したら住むようにと建てたものだった。

2年後、佐倉さんは長女の妊娠がわかった後も、2つの市を跨いでで警察職員として働いていたせいか、妊娠中毒症が悪化し、ドクターストップがかかる。それを上司に伝えると、「休むのなら(入院するなら)、一生休んでもらってけっこう!」と一言。

そのため佐倉さんは、産休に入るまでは出勤し続け、産休を取得できる出産予定日の6週間前になるや否や即入院。無事、出産できたものの、出産直後に腸閉塞に。夫は友人とスキーに出かけており、佐倉さんの初産に立ち会ったのは実母だけ。医師は、「娘さんが亡くなられたら、赤ちゃん(孫)はどうされますか?」という話を実母にしたほど、佐倉さんは重篤な状態に陥り、生死の境をさまよった。

しかし、なんとか1カ月後には退院でき、念のため実家で1カ月療養してやっと帰宅。2〜3日は義母が食事などの世話をしてくれたが、その後は通常モード。慣れない育児と家事に追われた。

その間、夫はしょっちゅうスキーに出かけていた。佐倉さんの初産に立ち会ったのは実母だけだったのだ。

「夫は若い頃から三度の飯よりスキーが大好きで、長女の出産のときも、長男の手がかかる時期も、しょっちゅう友人たちとスキーに行っていて不在。そもそも『自分が子育てをする』という頭がないので、自分が好きなタイミングで好きなだけスキーに出かけており、私たちママ友の間では“山は白銀しろがねパパ”と呼ばれていました」