義父のうつ病

しかしこの頃から、79歳になっていた義父の様子に異変が見られ始めていた。母屋の建て替えがあった約5年前、国語の高校教師で、読書家だった義父が大切にしていた書籍や仕事に使っていた書類などを、義母が容赦なく捨てたり、知人にあげたりしてしまった。

まとめられた書籍がひもでくくられている
写真=iStock.com/zepp1969
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義父は、「やめてくれ! わしがわしでなくなってしまう!」と抵抗したが、義父の願いを聞き入れるような義母ではない。義父は、完全に義母の尻に敷かれていた。佐倉さんが嫁に来てから、義母が佐倉さんに暴言を吐くのを目の当たりにしても、「そんなことを言ってはダメ〜」という顔をして後ろでオロオロしているだけ。自分の保身から常に傍観者でしかない義父に対し、佐倉さんは幻滅し、義母に対するほどではないが、少なからず憎しみを抱いていた。

いつからか義父は、夜中に突然、「人を殺してしまった! 警察に電話してくれ!」と錯乱し始めたり、買い物に出かけたはいいが帰れなくなり、暗くなっても帰宅しなかったりといったことが続く。

そんな義父を前に義母は、「自宅に座敷牢を作って閉じ込めておく!」と主張し始め、佐倉さんはまたもや唖然。「近所には、『夫は関西に住む娘のところへ手伝いにやりました』と言えばいい」と、悪びれる様子もなく言い放つ。

さらに、世間体を気にする義母は、「精神科には絶対に連れていかない」と言って譲らない。あろうことか夫は、義母の主張に従いそうになる。それを佐倉さんは、必死で説得しなければならなかった。

「『今は心療内科という病院がある。少し遠方の病院ならご近所に知られない』と言って説得しました。もしも本当に座敷牢に閉じ込めて、その中で義父が衰弱死でもしようものなら、公務員である夫は仕事を失い、ここにも住めなくなって、一家離散となったことでしょう」

佐倉さんのおかげで義父は座敷牢を免れ、心療内科に通院。投薬治療を受けると、数カ月で回復した。