関東地方に住む60代の男性は2人の女性を介護している。3歳下の妻は7年前に不治の進行性難病にかかり、全身の筋肉が日に日にやせ運動機能が損なわれていく。仙台の実家にいる母親は腰が直角に曲がり、ここ数年は心不全、肺炎、胃がんなど次々と病魔に襲われる。男性は仕事の傍ら周囲の人の助けを借りながら懸命にサポートするが――(前編/全2回)。
机に横たわるシニア女性
写真=iStock.com/ururu
※写真はイメージです
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないに関わらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

生い立ちから出会い

関東在住の中野篤さん(仮名・60代・既婚)は、北海道生まれ、仙台育ちの一人っ子だ。3歳年下の妻とは、中野さんが大学卒業後、出身大学の研究室の手伝いに行ったときに知り合った。

中野さんは大学を卒業後、外資系の広告代理店と商社勤務を経て、貿易関係の仕事を自分で立ち上げた。一方、妻は地方新聞に小説を配信する通信社に就職。2人は1988年に29歳と26歳で結婚した。

忙しくも穏やかに生活していた2人だが、小説の編集者をしていた妻は、53歳になっていた2015年の5月ごろから通勤の最中につまずいたり、転倒したりするように。趣味で通っていた合気道の道場でも転ぶようになり、それを知った中野さんは、「ちゃんとしたところで診てもらってほしい」と声をかけたが、妻は、整体やマッサージ店に行く程度でやり過ごしてしまう。この頃は夫婦とも、あまり深刻に受け止めていなかった。

妻が難病ALSを発症

ところが妻は3カ月ほどの間に、どんどん歩行が困難になっていく。通っていた整形外科から紹介された都心の大学病院に通い始めてしばらく経ったある日、夫である中野さんに言った。

「実は私、ALSという病気だと診断されたの。体がどんどん動かなくなって治らないんだって」

2015年11月ごろだった。

ALSは、筋萎縮性側索硬化症といい、国指定の進行性難病だ。筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)が障害を受け、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていく。

その一方で、一般的に、体の感覚、視力や聴力、思考などの高次機能などはすべて保たれる。1年間で新たにこの病気にかかる人は、人口10万人当たり約1〜2.5人だという。

妻は、確定診断を受けてからも仕事を続けたが、症状はまたたく間に進行し、11月中には片杖、12月には両杖をつかないと歩けない状態になってしまい、ほどなくして車椅子生活に。

当時、中野さん夫婦はエレベーターのないマンションで暮らしていた。そのため、車椅子通勤で仕事を続ける妻の帰宅時は、いつもマンションに着くと1階で妻が中野さんに電話をし、中野さんが1階まで迎えに行き、車椅子ごと抱えて、住まいのある3階まで妻を運んでいた。

暮らしていた街が気に入っていた中野さん夫婦は、同じ街でエレベーター付きのマンションを急いで探し、1週間後に引っ越した。