同じ敷地内の離れに住む高齢の義両親。結婚以来、50代の嫁は義母の横暴や暴言に苦しまされてきた。だが、認知症だった義父が他界した後、義母の体調も悪化。義父の介護をたったひとりでした嫁だったが、義母の介護は拒否した。その理由とは――(後編/全2回)。
不衛生なシンク
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前編のあらすじ】中部地方在住の佐倉美香さん(50代・既婚)は、24歳の頃、お見合いして6歳年上の公務員の男性と結婚。義両親が暮らす敷地内の離れで暮らし始めた。2年後に長女、その5年後に長男を出産するが、夫は育児に非協力的。義母は嫁である佐倉さんにつらく当たるが、夫も義父もかばわず、義姉もわれ関せず。その後、義父は夜中に突然、「人を殺してしまった!」となど錯乱し、認知症の症状を発症。やがて心筋梗塞で入院。病院内を徘徊するように。

後編は、義母につらく当たられながらも同じ敷地内に住む義父を看取り、続いて義母を介護することになりそうになったが、義母の妄言のため、佐倉さんは義母の介護一切から手を引く決断をする。どのようにして介護から逃れたのか。義母の介護は誰が担ったのか――。

認知症の義父

佐倉美香さん(50代・既婚)の義父は心筋梗塞で入院したものの幸い1カ月で退院できたが、その間に認知症は一気に進んだ。

自宅に帰った義父は、台所用漂白剤を、「毒薬や! 警察に連絡せんとあかん!」と興奮したり、台所の洗い場下の収納の中に潜って「地球の源泉が溢れている! なんとかせんとあかん!」と叫ぶなど、常軌を逸した行動を連発した。

「自宅だけで看るのは到底無理」と判断した佐倉さんは、介護認定を依頼するが、申し込んですぐに結果が出るわけではない。2〜3カ月後にやっと要介護1と結果が出ると、義父は週2日デイサービスに通い始めた。

「世間体を気にする義母は、『施設なんてみっともない』と思っていたようです。自分自身も、最後は施設から施設へとなるのに、見栄ばかり。義父の施設選びも優先すべきは、“過ごしやすいところ”ではなく、“近所の人に会わないところ”でした」

佐倉さんは2人の子供が小学校に上がると再び働き始めた。ヘルパー2級を取得し、ホームヘルパーを約5年経験した後、事務員として働いていたが、義父のデイサービスの日は、佐倉さんが仕事を早めに切り上げて、自宅で送迎バスを待った。

ところが、バスで帰宅した義父は毎回、「施設に荷物を忘れた!」「印鑑を忘れた!」と叫んで、道路に飛び出そうとする。施設の送迎スタッフは、玄関に義父を押し込むと、ダッシュで車に戻り、その後に佐倉さんが立ちはだかって、義父の逃亡を阻止しなければならなかった。

何とか座らせてお茶を飲ませるまで毎回30分はかかるが、義母はいつも遠巻きに眺めていて、落ち着いた頃に義父にだけお茶を入れてくる。立ちはだかる佐倉さんの両腕は、毎回義父に強く握られるため、常に指の形にくっきりアザが残った。