「子供らしくいられる時間を奪われた」。両親は障害のある兄にかかりっきりで、妹である自分に目を向けてくれない。20代の女性はそうした幼少期のトラウマが原因でうつ病になった。「なぜ深く考えずに私を産んだの? 私に背負わせた苦労に気付いてないでしょ?」ある時、女性は両親に腹を割って、心のモヤモヤを打ち明けた――。
暗い廊下に立つ女性のシルエット
写真=iStock.com/Luke Chan
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前編の概要】佐田架純さん(仮名・20代)には知的障害と体にまひがある3歳上の兄がいた。歩くことはできるが、走ることはできない。食事やトイレ、入浴にも介助が必要だ。母親は兄にかかりきり。幼い頃、佐田さんは「かまってほしい」「寂しい」と思っても、兄が優先されることを理解していた。しかし、思春期を迎えると、公共の場で兄が周囲に迷惑をかけていることに罪悪感や羞恥心を抱くようになったものの、両親にも友だちにも先生にも、本心を打ち明けることはできなかった。この先佐田さんは、どのようにして家庭のタブーを破ったのだろうか。どのように家庭という密室から抜け出したのだろうかーー。。

兄のために悩み傷つく

幼い頃から重い知的障害と体にまひのある兄は、パニックになると周りの人の髪をひっぱったり、腕に爪を立てたりした。3歳下の妹である佐田架純さん(仮名・現在20代)に対しても例外ではなかったため、小学生くらいの頃は、母親や祖母がいないスキを見計らって、こっそり兄にやり返していたという。

しかし兄は、なぜ佐田さんが自分を叩くのか、因果関係が理解できない。そのため佐田さんがやり返した後は、2人の関係が不穏なものになった。

「兄には言葉が通じないので、腹が立っても、罵倒したいと思ったことはありません。こちらが大きい声を出すと余計にヒートアップするため、兄が何か良くないことをして注意するときも、淡々とするように心がけていました。意思疎通がほぼできないことが要因だと思いますが、兄に関する私の怒りは、徐々に兄本人よりも、両親に向いていきました」

幼い頃から、自分より手のかかる兄がいるということを理解していた佐田さんは、寂しくても、「寂しい」とか「もっとかまってほしい」などを、「言ってはいけない」と思っていたため、母親や祖母に伝えたことは一度もなかった。

「その代わり、今思うと中学生の頃、不登校という形で、『寂しい』『もっとかまってほしい』という気持ちを出していました。しばらく学校へ行かず、家で母にかまってもらえると落ち着き、また学校に通うということを繰り返していました」

高校生になると、佐田さんに初めての彼氏ができた。しかし佐田さんは、彼氏に兄のことを話すべきか悩み、苦しんだ。

「考えれば考えるほど、どうして私が兄のことで悩まなければならないのだろう? こんなに悩んでいることを両親は分かってくれるのだろうか? そもそもどうして私を産んだのだろう? と、どんどん“悩み”は“傷つき”に変わっていきました」

悩んだ末に、佐田さんは彼氏に兄のことを話したが、彼氏は障害者そのものや、障害者のいる家庭の生活にピンとこなかったようだ。覚悟していたほどネガティブな反応はなく、佐田さんは胸をなでおろす。結局その彼氏は、兄と会うことなく別れた。

そして佐田さんは、かねてから目指していた関東の大学に合格。初めての一人暮らしを開始した。