※本稿は、土井隆義ほか『親ガチャという病』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。
友人数の多さが評価の尺度として作用する現代
社会学者を中心とした研究グループである青少年研究会が実施した「都市在住の若者の行動と意識調査」によると、2000年代以降、若年層の友人数は大幅に増えています。前節で指摘したように、関係の流動化にともなう自由度の増大によって、制度的な枠組みにとらわれない関係を築きやすくなったからでしょう。
しかし、制度によって関係が縛られなくなると、今度はその個人差が大きくなります。事実、同調査によると、2000年代以降、友人数の多い者と少ない者との落差は拡大しているのです。
今日では、人間関係の構築時における個人的要因の比重が増したことによって、場を盛り上げる能力に長け、対人関係を器用にこなせる人物と、そういった社交術に疎く、関係構築が苦手な人物との間で、かつて以上に関係格差が広がりやすくなっています。
私たちは、他者との間にさほど差を見出せないとき、そこに評価の尺度を求めようとはしません。しかし、いったん落差が生じると、それは評価の尺度として作用し始めます。友人数もその例外ではなく、落差が歴然と目につくようになると、その数が多いか少ないかによって、人間としての価値が測られるかのような見方が広がっていきやすくなります。
もちろん、それは錯覚です。友人数などというものは、時々のめぐり合わせによっても大きく左右されるものであり、本来、人間としての価値とはなんの関係もないものだからです。
友人数の多い人ほど自己肯定感が高い
ところが、同調査によれば、友人数が多い者ほど、自己肯定感も高い傾向が見られ、また自分の将来は明るいと考える傾向も強くなっています。付き合う相手を自由に選べる状況では、付き合う相手のいないことが、自分の価値のなさの反映と受けとられがちだからです。あるいは、周囲からそういう目で見られてはいないかと危惧を覚えがちだからです。
今日の社会で、いわゆるコミュニケーション能力が偏重されるようになったのも、価値観の多様化によって互いの意思確認の必要性が高まったからだけではなく、それが人間的な魅力を測る尺度として使われやすくなったからでもあるのです。