1990年ごろまで世界トップを走っていた日本経済は、なぜここまで凋落したのか。生物学者の池田清彦さんは「日本は『いっせいに』『みんな平等で』同じような仕事を効率よくやるということに対してすごく特化した国で、それが高度成長期にはマッチしていた。しかし、時代は変わった」という――。

※本稿は、土井隆義ほか『親ガチャという病』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。

フェイスマスクを着用した大勢の人々
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自由を重要視するイギリス、規則厳守に固執する日本

——ここ数年、マジョリティとちょっとでも違ったふるまいをすると、すぐに炎上騒ぎになるなど、息苦しい社会になっているように感じます。

【池田】息苦しさの要因として、まず日本は同調圧力が強い社会であるということがあるでしょう。イギリスなどと比べて自由が大事だという意識があまりない。イギリスなどは、新型コロナの感染拡大が深刻な状況にあっても「マスクをしないのは俺の自由だ」という人が一定数はいるわけです。だから国が統制しようとしてもなかなか大変で、結局イギリスのジョンソン首相は途中でサジを投げてしまいました。それでも「しばらくすれば収まっちゃうんじゃないか」と思っているところが国民の意識としてあるんだね。

一方、日本はというと、そういうところが「これでもか」というぐらいにすごく厳密でしょう。日本人の国民性みたいなものもあると思います。適当にうまくやろうということができないんだよね。とにかく規則を決めて、それをみんなで守っていかなければいけないと考え、状況がどうなろうとも一回決めた規則はなかなか緩めないところがある。「これは規則だから従いなさい」という。

——そのような国民性はどこから生じたものなのでしょう。

【池田】小さい時からそういう教育を受けているのは大きいと思いますよ。最近になって「正義を振りかざす人」があまりに多くなっているのも、教育の弊害が出ている側面があると思います。

この前、どこかで聞いた話だと、ある小学校の生徒が文房具屋で透明の消しゴムを買って使っていたら学校の先生に「白い消しゴムでなければダメです」と言われて持って帰らされたというんだよ。消しゴムなんて、消えればなんでもいいわけで、なんで透明がダメで白い消しゴムでなければダメなのかといえば、それは単に誰かが適当にそのような規則を決めたからでしょう。だけど、どんなにいい加減な規則であっても一度そうと決めたらそれを馴致しなければいけないという考えに教育現場が染まっている。

そういう規則至上主義、コンプライアンス至上主義。とにかく規則に従わないヤツは気に入らないからバッシングしてもいいんだっていう感性なんだね。「お前は規則を破ったのだから、いくらバッシングされても文句を言うんじゃない」という日本人の偏屈さみたいなものが表れている。