親友よりも「あっさりして深入りしない」関係
たしかに今日の若者たちは、いつどこにいてもつねに仲間とつながり合っています。ネットの普及が人間関係を緊密にしたともいえます。しかし、では同じような価値観を持つ者どうしで関係が深まっているかといえば、そんなことはありません。むしろその関係から外されないように振る舞うことに必死で、互いの内面を吐露し合うことは難しくなっています。
青少年研究会の調査によれば、2000年代以降、友だちとの付き合い方で増えているのは、「あっさりして深入りしない関係」です。他方で減っているのは、「意見が合わなかったときは納得いくまで話し合いをする関係」です。ともかく関係を維持していくことが最優先にされ、互いの悩みを相談し合えるような関係を育むことは難しくなっているのです。
1990年代後半に急増した日本の自殺率は、その後、約10年間の高どまりを経験した後、徐々に低下し始めました。ようやく私たちは、大転換後のこの社会に慣れてきたのでしょう。しかし、若年層だけは別で、依然として高どまりのままです。この事実の背後には、いま述べてきたような事情があるのではないでしょうか。
緩やかに開かれたつながりに対する心理的距離が拡大し、イツメンだけが唯一の居場所になると、そこから外されたらもうどこにも生きる場所がありません。そのイツメンですら、とりあえず関係がうまくいっていたとしても、何か悩みがあったときに、安心して吐露し合えるような間柄ではなくなっています。若年層における自殺率の高さの背後には、このような意味での居場所の喪失という問題が潜んでいると考えられます。
居場所を失う若者と親ガチャの流行との関連性
近年、「親ガチャ」という言葉をよく耳にするようになりました。実はこの言葉の流行もまた、以上のような居場所の喪失と大きく関わっている現象といえます。そもそもガチャとは、オンラインゲームで希望のアイテムを入手するための電子くじシステムのことですが、さらにその語源にあるのは、街角の店舗などに置いてある小型の自動販売機で、硬貨を入れてレバーを回すとカプセル入りの玩具が無作為に出てくるガチャガチャです。それらのシステムに自分の出生をなぞらえたのが親ガチャなのです。
ガチャガチャでも、ガチャでも、くじを引いてどんな玩具やアイテムが当たるかは運任せです。ときには一発で大当たりすることもありますが、いくら課金してもつまらない玩具や弱いアイテムしか入手できないこともあります。それと同じように、私たちは誰しもどんな親の元に生まれてくるかを選べません。そこには当たりもあれば外れもあります。自分の人生が希望通りにいかないとしたら、それは出生のくじ運が悪くて外れを引いてしまったからだ、親ガチャにはそんな思いが込められています。
子どもは親を選べないため、人生とは運次第のもの、それが親ガチャの意味するところです。しかし、ここで目が向けられているのは、これからの時間ではなく、これまでの時間です。ガチャガチャやガチャで何が出てくるかは、くじを引いた時点ですでに決まっています。それと同様に、これからの人生がどうなるかも、出生時の諸条件であらかじめ定まっており、自分の力ではどうしようもないというわけです。したがって、もっと正確にいうなら、人生は出生時の運次第なのだということになるでしょう。