義理の家族たち

佐倉さんは26歳で長女、31歳で長男を出産したが、夫は一貫して育児に非協力的だった。やがて長女が11歳、長男が7歳になった頃、老朽化した母屋を建て替え、佐倉さん一家と義両親は同居することに。

結婚生活も12年たった2002年11月。佐倉さんが37歳になった頃に母屋が完成すると、義両親との同居生活が始まった。

夫の3つ上の義姉は結婚して関西で暮らしている。佐倉さんの子どもたちが小さかった頃は、盆と正月の年2回、長いと数週間ほど義両親の家に滞在した。

義姉家族が里帰りすると、必ず一晩は近所のフレンチレストランで食事をした。もちろん支払いは義父母持ちだが、義父や夫はアルコールがあまり強くない。しかし義姉夫婦はザルだった。

あるとき、義兄が、「美香さんもどうですか?」と、声をかけてくれた。すると義母が、「この嫁はいいの、しっしっ」と、片手で犬でも追い払うような仕草。佐倉さんは唖然としたが、義姉はビールをがぶがぶ飲み、義父も夫もわれ関せず。

ビールを注ぐ
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「結局、義兄が私のグラスにビールを注いでくれましたが、義母には呆れました。結婚前や直後は、『娘と嫁は差別しない。娘のように思っているよ』と言っていたのが、いつの間にか、『娘と嫁は、差別してない。区別しとるだけ』に変化していました。揚げ句の果てには、『それでもいずれは、あんたに面倒みてもらわなあかんのやで』とドヤ顔。それでもこの頃の私は天使のように純真だったので、こんな義母でも看るつもりでいたんです。バカでした」

同居が始まって4年ほど経とうとしていた頃(佐倉さんは41歳)、長女が中学生、長男が高学年になると、子どもたちは深夜まで起きていることが多くなった。そんな頃、佐倉さんは義母(当時62歳)に呼び出される。

「生活時間が合わず、『夜中までうるさい!』『子どもたちを早く寝かせろ!』とキレてました。義母は、直接子どもたちには言わず、毎日のように私に文句三昧でした」

しかし、先に折れたのは義母だった。深夜まで物音が聞こえる環境に耐えられなくなり、離れに移り住むようになったのだ。佐倉さんにとってラッキーなことに、結局同居は2006年に解消された。