平井伯昌(ロンドン五輪・日本競泳ヘッドコーチ)
いまや水泳界随一の名指導者である。2大会連続五輪二冠の男子平泳ぎ・北島康介を育て、女子自由形の上田春佳、バタフライの加藤ゆか、背泳ぎの寺川綾にもロンドン五輪キップをもたらした。
早稲田大学水泳部に在籍中の2年生の冬、嫌々ながらマネジャーを引き受けた。他の選手の泳ぎを見つめるうち、選手を育てるコーチングのオモシロさに目覚める。持ち前の探究心と根気、選手の素質を見抜く眼力……。それぞれの個性に合わせて、やる気を起こさせ、持ち味を伸ばし、ゴールに導いていく。なんといっても選手との信頼関係の築き方、言葉の力は抜群である。
ロンドン五輪キップをかけた4月の日本選手権。平井コーチらしさが出たのは、上田への檄だった。先に100メートルバタフライの加藤、100メートル背泳ぎの寺川がそれぞれ五輪キップを手にしていた。残るは上田である。
寺川は200メートル背泳ぎの出場を取りやめ、同100メートル一本に勝負をかけた。上田と寺川、加藤は「仲良しトリオ」である。
平井コーチがいつも、3人を一緒に指導している。3人そろって五輪キップをゲットし、メドレーリレーを組むことを目標にしていた。平井コーチは新聞を見せながら、上田にハッパをかけた。「綾(寺川)が200メートル背泳ぎを棄権したのは、ゆか(加藤)、春佳(上田)とメドレーリレーを組みたいから、と出ているゾ。おまえには(五輪キップ獲得の)責任があるんだゾ」と。
じつは上田は髪をほわほわのパーマにしてから調子が悪かった。平井コーチはそこで冗談っぽく続けた。「その髪の毛にしてから調子が悪いんだから、ダメだったら髪の毛を切ったらどうだ」
上田は「そんなことしたらオカッパですよ」と笑って返した。でも奮起し、100メートル自由形で日本新記録をマークし、見事、五輪キップをもぎ取ったのである。
直後、会見で上田のことを聞かれると、平井コーチは顔をくしゃくしゃにした。
「ものすごくうれしいですね。あっ。すいません。喜びすぎですね」