アメリカには生涯にわたって性差別と戦い続けた「伝説の最高裁判事」がいる。最高裁判事を27年間つとめたルース・ベイダー・ギンズバーグさんは「ハーバード大学を首席で卒業しましたが、4歳児を連れたユダヤ人女性である私に、チャンスをくれる企業はひとつもなかった」という。アメリカの人気番組『ザ・ルーベンシュタイン・ショー』をまとめた書籍『世界を変えた31人の人生の講義』(文響社)から紹介しよう――。

自分の考えがあることに初めて魅力を感じてもらえた

【ルーベンシュタイン】ご結婚されて56年になります。コーネル大学でパートナーのマーティと出会いました、そうですね?

ルース・ベイダー・ギンズバーグ(写真=Supreme Court of the United States, Photographer: Steve Petteway/PD US SCOTUS/Wikimedia Commons)
ルース・ベイダー・ギンズバーグ(写真=Supreme Court of the United States, Photographer: Steve Petteway/PD US SCOTUS/Wikimedia Commons

【ギンズバーグ】ええ、私が17歳で、彼が18歳のときでした。

【ルーベンシュタイン】コーネル大学に通う女性がそこで結婚相手に——それも子育てや料理はもちろん、結婚生活におけるあらゆる家事を進んで分担しようとするような相手に出会う可能性は、いったいどれくらいあるでしょう? あなたがご覧になって、それはごくありふれたことですか?

【ギンズバーグ】いつの時代もなかなか難しいでしょうが、特に1950年代にはあり得ませんでした。ちなみに当時のコーネル大学の学生の男女比は4対1の比率で、女性ひとりに対して男性が4人の割合ですから、娘を持つ親ならぜひ娘を送りたい場所でした。コーネルで結婚相手が見つからなければ、ちょっと絶望的です。

マーティは、私が自分の考えを持っていることに惹かれた初めての男性でした。彼はいつも私を理解し、応援してくれました。

2%弱しか女性がいなかったハーバード・ロースクール

【ルーベンシュタイン】コーネルでのあなたの成績は、間違いなく優秀でした。そしてハーバード・ロースクールに進まれます。当時のクラスの男女比は、半々くらいでしたか?

【ギンズバーグ】いえ、とてもとても。はるか昔の話ですが、私は1956年から59年までロースクールに通いました。新入生は500人以上いましたが、私たち女性は9人でした。

でもマーティの学年に比べたら大躍進です。彼は私よりも1学年上のクラスにいましたが、女性は5人でしたからね。

今ではハーバード・ロースクールの学生の半数は女性です。

【ルーベンシュタイン】あなたはとりわけ優秀だったので、機関誌の『ハーバード・ロー・レビュー』に参加されます。成績はトップ、悪くてもトップタイでした。

マーティがニューヨークへ移らなければならなくなると、あなたも一緒に行こうと、コロンビア・ロースクールへの転校を希望されました。ハーバード・ロースクールの学部長は、ハーバードの学生として卒業したいのなら、あまり良い考えだとは思わなかったようです。

【ギンズバーグ】学部長は、卒業生になるには3年目をハーバードで過ごす必要があると言うのですが、そうしなかったのには理由がありました。マーティがロースクールの3年生で、精巣癌と診断されたからです。