「規則は規則」学位は取得できなかった
【ギンズバーグ】当時は癌の治療も緒に就いたばかりでした。まだ化学療法はなく、大量の放射線をあてるだけで、彼が生き残れるかどうかは分かりません。でも私は、シングルマザーにはなりたくありませんでした。私がロースクールで勉強を始めたとき、娘のジェーンはまだ1歳2カ月でしたし、私たちは家族として一緒にいたかったのです。
マーティはニューヨークの会社で良い仕事に就いていました。私の胸の内には簡単な答えがあったので、私は学部長に尋ねることにしました。「コロンビアで無事に法学を修めたら、ハーバードの学位を認めていただけますか?」。しかし学部長の答えはこうでした。「それは無理だ。ここで3年目を送らない限りね」
そこで私は、自分では完璧と思われる反論を試みました。私のコーネル大学時代の同級生で、ペンシルベニア大学のロースクールで1年次を送り、2年になってハーバードに転入してきた学生がいたので、私は彼女を例に挙げて学部長にこう言ったのです。
「なるほど、だからアイセルベーカー夫人は2年次と3年次をここで学び、ハーバードの学位を取得するわけですね。しかしロースクールの1年目が最も重要だということは、誰もが納得する事実ではないでしょうか。彼女は2年次と3年次、私は1年次と2年次です。大した違いはないはずです」
しかし学部長から言われたのは、「それはそれ、これはこれ。規則は規則だ」という言葉だけでした。
ユダヤ人であり、女性であり、母親であるというハンデ
【ルーベンシュタイン】あなたはコロンビア・ロースクールに通われ、法学位はコロンビアで取得されました。成績も大変優秀で、そこでもロー・レビュー(法学雑誌)の編集委員でした。『ハーバード・ロー・レビュー』と『コロンビア・ロー・レビュー』の両方に参加されたご経験がおありですから、さぞかしたくさんの有名な法律事務所から誘われたのではありませんか?
【ギンズバーグ】ニューヨークにあまたある会社のなかで、私にチャンスをくれた企業はひとつもありませんでした。私には3つのハンデがありました。
まず私はユダヤ人でした。しかも当時はまだ、ウォールストリートがユダヤ人を受け入れ始めたばかりでした。次に私は女性でした。そして何より決定的だったのが、私が母親だということでした。ロースクールを卒業したとき、娘は4歳でした。いくら女性を雇用する気持ちのある経営者でも、母親まで雇ったことはありませんでした。