2017年に日本武道館で行われた、ポール・マッカートニー日本公演のチケット
写真提供=筆者
2017年に日本武道館で行われた、ポール・マッカートニー日本公演のチケット

世界のスターから愛された日本人

永島達司(1926年~99年)。プロモーターで呼び屋。敗戦後の日本で海外から音楽のアーティストを呼んできた男だ。ナット・キング・コール、ベンチャーズ、ルイ・アームストロング、ベニー・グッドマンから、スティービー・ワンダー、レッド・ツェッペリン、マイケル・ジャクソン、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズなど彼が呼んだアーティストは数知れない。むろん、1966年のビートルズ来日公演を企画、運営したのも彼、永島達司で、キョードー東京の創設者でもある。

ポール・マッカートニーは永島のことを「日本の音楽大使」と呼んだ。彼の家族は英語の流暢な永島のことを伯父さんと呼んで慕っていた。

ジョージ・ハリソンは永島と会うたびに「お前だけが俺たちをだまさなかった。あとは全員、俺たちから金を盗んだ」と言って抱きついたという。

カレン・カーペンターは永島のことが好きで、日本語で「だーいすき カレン」と刺繍した額を贈ってきた。

こうしたエピソードは枚挙にいとまがない。

わたしは永島さんが亡くなった1999年、幻冬舎から『ビートルズを呼んだ男』を出版した。同書はその後、同じ版元から文庫となり、今は小学館文庫で出ている。ありがたいことにロングセラーになっている。

昨年、ディズニープラスが『ザ・ビートルズ:Get Back』というドキュメンタリーをリリースしたこともあって、ビートルズは何度目かのブームとなっている。すると、『ビートルズを呼んだ男』も話題になる。

ビートルズというアーティストがいかにエバーグリーンの存在になっているか。余禄をいただいているわたしとしてはビートルズと永島さんに感謝するしかない。

30年以上、ビートルズ来日の話をしてこなかった

永島さんはインタビューには答えない男として知られていた。特にビートルズ日本公演のことは「もう話したくない」と明確にしていた。

原因は当時、ある本に永島達司がメモしていた日記がすべてリークされたからだ。取材記者は永島の秘書から情報を手に入れていたのだが、そのなかには永島が「絶対に知られたくない契約と警備計画」が入っていた。

わたしが会った時、永島さんはこう言っていた。