※本稿は、久野愛『視覚化する味覚』(岩波新書)の一部を再編集したものです。
バターの安価な代替品として生まれたマーガリン
酪農家らがバターの色の重要性をより強く認識するきっかけとなったのが、マーガリンの誕生である。これは、「バターの安価な代替品」として生まれたマーガリンが、バター生産者にとって大きな脅威となったためである。ヨーロッパ諸国では、バターの生産量が少ない年には、脱脂乳や牛脂などを使ってその代替品を作ることが古くから行われてきた。だがこれら代替品の生産はあくまで臨時的なものであり、大々的なビジネスとして確立されたものではなかった。
今日のようなマーガリンがバターの「代替品」として生産・販売されるようになったのは、1860年代末、フランス人化学者イポリット・メージュ=ムーリエがナポレオン三世の命を受けて開発したことに始まる。メージュ=ムーリエは、主原料に牛脂からとれるオレオ油を用い、それに少量の牛乳と着色料を混ぜることで価格を抑えた代替品を作り出し、これを「人工バター」と呼んだ。
彼は、1869年にフランスとイギリスで特許を取得し、2年後にはオランダのバター問屋アントニウス・ヨハネス・ユルゲンスとその息子らに売却した。その後ユルゲンスは、マーガリンの商業生産を本格的に始め、間もなくヨーロッパ周辺諸国にも広がっていった。ちなみに、後にユルゲンスの会社は他の複数の企業と合併し、今では世界有数の消費財メーカーとなったユニリーバが設立された。マーガリンはユニリーバの主力商品の一つだったものの、同社は、2017年、マーガリン部門の売却を発表した。
特にオランダやドイツ、デンマークでは、1900年までにマーガリンの消費量が、バターとほぼ同程度もしくはそれ以上にまで増加した。例えばデンマークでは、1900年の国民一人当たりの年間バター消費量が約7キロだったのに対し、マーガリンは8キロ近くに及んだ。
マーガリン消費拡大の理由の一つが、その価格である。それまでバターを購入できなかった労働者階級や農業従事者ら低所得者層の多くが、バターの代わりとしてマーガリンを使うようになったのである。また、バターの多くは、イギリスをはじめとする他のヨーロッパ諸国へ輸出されていたことも、自国でマーガリン消費が拡大した要因である。
日本では「人造バター」として販売
マーガリンは、工業化と大量生産システムの進展を背景に生み出された最初の加工食品の一つである。また、ヨーロッパ以外の国・地域でも生産が始まり、最初にグローバル化が進んだ食品の一つでもあった。例えば日本では、マーガリン誕生間もない1887年に初めて輸入され、「人造バター」として販売された。
一方、バターが日本に入ったのは14世紀で、当時は形がかまぼこに似ていたことから、「牛かまぼこ」と呼ばれ「牛酪」と書くようになった。1908年には、横浜に本社を置く帝国社(後の帝国臓器製薬。現在のあすか製薬)が初めてマーガリンの国内生産を始めた。第二次世界大戦後には、植物性硬化油の採用、脱臭技術の進歩、ビタミン強化などによって、味も風味もバターに引けをとらないものができるようになり、その生産が拡大していった。1954年には、「人造バター」に代わり「マーガリン」を統一名称として販売されるようになった。