野菜や果物の「おいしそうな見た目」には、どれぐらいの根拠があるのだろうか。東京大学大学院の久野愛准教授は「アメリカでは広告によって『おいしいオレンジ=オレンジ色』という図式ができた。人類は自然の恵みすら操作しようとしている」という――。

※本稿は、久野愛『視覚化する味覚』(岩波新書)の一部を再編集したものです。

オレンジ色のオレンジ
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人間が食べ物の「あるべき」色を学ぶ過程

フィリピン産のバナナや、カリフォルニアのグレープフルーツ、ノルウェー産サーモンなど、今日、私たちの食卓は世界各地から運ばれた生鮮食品で溢れている。だが食のグローバル化ともいえるこのような変化は、この1世紀ほどのできごとである。それまでは、野菜や果物、肉、魚などは、地元でとれたものがほとんどで、手に入る種類も季節により大きく異なっていた。また、海外産の食品があったとしてもそれは非常に高価で、一般消費者が普段口にすることはほぼ不可能であった。

アメリカを例にみると、19世紀末になって、これまで見たこともなかった果物や野菜が遠く離れた生産地から運ばれるようになり、特に都市部に住む上流家庭の食卓はバリエーションに富んだものになっていった。

例えばバナナやオレンジ、パイナップルなどは、熱帯地域の国や、国内であっても一部の地域でしか生産されておらず、長距離輸送網や輸送技術が発達するまでは、全国市場で消費されることはなかった。1870年代に入り、鉄道や船を使った冷蔵輸送や長距離配送が可能になったことで、それまで高価で珍しかった果物や野菜は次第に富裕層のみの食べ物ではなくなっていったのである。

市場が拡大するにつれ、農産物を大量かつ安価に生産する必要が出てきた。さらに、常に一定した品質を安定供給することも国内およびグローバル市場の拡大とともに不可欠となっていった。こうした中、形や大きさと並んで、色は、野菜や果物の品質基準の指標の一つとして用いられており、常に一定基準以上の色をした農産物を生産するため、品種改良や農業技術の開発が行われるようになったのである。

人類は農業を開始して以来(もしくはもっとそれ以前から)、様々な技術を駆使して自然を開拓してきた。季節や気候に合った品種を選択し、生産性と品質を向上させるため品種改良を行うなど、自然環境と対峙し、また時に自然を管理することを目指したのだ。そして、19世紀末になり、農業の機械化や大規模生産の始まりによって、自然の「操作」は、規模・内容ともに大きく変化することとなった。

大量生産と商品・生産過程の画一化は、自動車工場のベルトコンベヤの上だけでなく、「自然」の恵みを受ける田畑にも広まったのである。

では、19世紀末以降、新しい食べ物を初めて目に、そして口にした人々は、どのようにしてそれらの食べ物の「(作られた)あるべき」色を学び、認識するようになったのだろうか。ここでは特にこの頃一般的に広まるようになったバナナとオレンジに焦点を当て、これらの果物の色が次第に画一化され、多くの人々にとって当たり前のものとなった過程を辿ることとする。